チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

民主主義となる国、ならない国

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民主主義となる国、ならない国

■タイ式民主主義
現在、世界で軍事政権の国はタイと北朝鮮だけである。しかし戦後のアジアだけ見ても、ミャンマーカンボジアラオスベトナムインドネシア、それに韓国は軍事政権だった期間があり、政治不安があれば軍政復活となる国もあるだろう。

中東諸国だけでなく、一つの国の中に複数の民族、宗教、文化、言語が混在していて、国民同士で対立、抗争している国は少なくない。多数に従わないことが少数者にとっての正義であれば、選挙は成り立たない。選挙結果が政治に反映されないのであれば、民主主義は成り立たない。国民同士の殺し合いがないという意味で、軍事独裁のほうがうまく治まるという国はある。

選挙のたびに政治紛争、流血の惨事が起こる。民政に嫌気がさした国民が軍事政権を希望し、軍政が始まる。軍政になったところで汚職は無くならないし、経済も不調、国民の融和もいまいちとなると、それでは民政移管しよう、ということになる。まさに戦後のタイ政治はこの繰り返し。

一人一票の選挙権という民主主義の基本が意識されない限り、タイの民政、軍政の繰り返しは続くと思う。都市のインテリと北部の農民の1票が同じ1票は正義に反する、タイにはタイの民主主義があるというのであれば、都市の納税者には2票、農村の貧困層は1票でも構わない、納得ずくでタイの選挙制度を考えればいい。日本でも納税者でなければ投票権がないという時代は1890年から1925年まで35年続いている。選挙制度が現在の誰でも1票の形になるまで、本家英国でも、米国でも日本でも紆余曲折があった。

■ブッシュの浅はかさ
人により性格が違うように、国にも国柄というものがあり、それは長い歴史を反映しているので一朝一夕には変えられない。
米国はそれがわかっていない。

以下は2005年8月31日の日経から。

米大統領、日本を例に中東民主化推進・対日戦勝記念日演説   
【ワシントン=秋田浩之】ブッシュ米大統領は30日昼、カリフォルニア州サンディエゴの米海軍基地で対日戦勝記念の演説をおこない、第2次大戦後に民主国家として発展した日本の成功例を手本に中東民主化を推進する決意を表明した。米国内でイラク政策への批判がくすぶるなか、「日本モデル」を引き合いにイラク復興の歴史的な意義を強調、米国民の支持を取り付けようとする狙いがある。

 演説の中で「(第2次大戦)開戦時には、太平洋地域の民主主義国家はオーストラリアとニュージーランドだけだった」と指摘。「米国は真珠湾攻撃から4年以内に立ち直り、(欧州と太平洋の)2つの前線で戦い、世界戦争に勝利した」と自賛した。

 そのうえで「米国と日本の専門家は当時、日本には民主主義の備えがないと指摘した。だが(米国の戦争世代が)日本で達成したことを見れば、特定の人々が平等と自由に適していないと信じるのは誤りだということが分かる」と主張。平和憲法を持つ日本は米国の「信頼できる同盟」であり、アジア地域の安定にも寄与しているとたたえた。 (引用終わり)
       

■十七条の憲法の時代から
日本が民主化したのだから中東も民主国家になる、とはなんとナイーブな発想か。中東諸国が民主的政体をとっていた歴史はない。
ブッシュ大統領は知らなかったのだろうが、日本では1925年に普通選挙法が敷かれている。米国で国民に等しく選挙権が与えられたのは1960年代になってからだ。

米国に教えてもらうずっと以前から、日本は民主主義だった。聖徳太子の十七条の憲法は604年に制定された日本最古の成文法である。

その第一条は次のように訳される。
和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことに従わなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就するものだ。

第十七条は次の通り。
ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。

これを民主主義といわずして何というか。天皇陛下の前では役人も民も等しく同等である、とも書かれているが、この精神は今の日本人にも受け継がれているのではないだろうか。

タイでは王様の前で民は同等ではない。民政が長続きしない理由もここにある。