チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ7年

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介護ロングステイ7年

■死に方は選べない
チェンライの生活も7年になる。日本を発つ前に3カ月の命、享年83という医者のご託宣を受けたが、チェンライの気候が良かったのか、女中さんの介護がよかったのか母は90歳の正月を無事迎えた。

3年前のブログを読み返してみたら、この頃から母は寝返りも打てず、自分で立つこともできず、寝たきりになっている。4年前には何とか会話が成り立っていた。5年前のブログには、「お母さん、長生きしてね」という呼びかけに、いつも「そうだね」と言っていた母が、ある時、決然と「いやだ」と答えた、と書いてある。母は誇り高い人だったから、老いて子供に迷惑をかけている自分が嫌だったのだろう。
まして今のように寝たきりになり、トイレも人の世話になっている生活は不本意であろう。いくら当人が不本意であっても、死に方、それに至る過程は自分では選べない。
若い時に、このように死にたいと思ってもどうにもならない。その如月の望月のころ、花の下にて望み通りに死んだという西行法師の例は稀有のことなのだろう。

■グループ討論で
12月に開催されたチェンマイ介護研究会では「自分たちの手で介護システムを」と題したグループ討論があった。自分もその一つに参加させてもらった。すでにグループ介護、すなわち価値観を同じくする人たちが何人か集まって、終末介護を含めた助け合いを行なっている人もいた。また母親をチェンマイで看取った人もいる。その方は、親の介護をした経験から、自分だけは日本にいる子供たちに迷惑はかけられない、と切実に思っていて、そのためにどういった終末がいいのかと模索されているとののこと。でも、それは考えたからといってどうなるというものではない。子供が親の面倒をみたいというのであれば見てもらえばいいし、子供が何もしないのであれば他に何か手立てが出てくるだろう。いずれにしても誰かに迷惑を、言い換えれば、誰かのお世話を受けることになる。それに周りに迷惑をかけているかどうか、自分が認識できる状態で終末を迎えることができるかどうかもわからない。つまり当人の希望通りの終末が待っているとは限らない。

お母さんを異国で立派に介護し、看取ったこの方をお子さんもも周りも見ている。女中さんではないがタンブンを積んでいるのだから、老後も来世も悪いことにはならないだろう、という気はする。

■因果は巡る糸車
両親や年上の人を大切に思う心にかけてはタイ人は日本人に負けない。年老いた老親を看るのは子供の義務であるし、身寄りのない老人の面倒は地域で看る。
しかし、親父は僕たちの小さい頃、ぶん殴ったり、まともにご飯を食べさせてくれなかった、だから年老いたからと言って親父の面倒を看るつもりはない、というタイ人の話を聞いた。

因果は巡る糸車、ではないが、自分の行いが結局は自分に返ってくる。チェンマイでグループ介護を行っている人たちは「価値観を同じくする人」だけで集まっているという。価値観が同じ、ということは例えば、タイ人を見下すような人はダメ、というものらしい。誰に対しても尊敬、労りの心を持つということは、どこで暮らそうと大切なことだ。タイ人のカミさんに逃げられた邦人の中には、酔って暴力をふるったり、それ、食費だ、と言ってバーツ札を床に投げ散らかして拾わせる、といった所業をしていた人がいる。相手を思いやる気持ちのない人は邦人仲間からもタイ人からも相手にされない。自分勝手だから親しい友達もなく、孤独な生活の果ては北タイのGHで人知れず死んで、総領事館や現地警察にご迷惑をかける。

■ご迷惑は当たり前
いずれにしても、誰でも年を取れば人のお世話になるのだし、死ねば葬式やら手続きやら、いろいろと残った人にご迷惑をかける。それでなくても我が人生、生まれてこの方、いろいろな人にご迷惑をかけて生きてきた。だからご迷惑の掛けついでに、菊池寛の「父帰る」とか志村けんのヨイヨイの爺さんを実行してみようか、と思うこともあるが、日本に帰るのも大変だ。せめて、邦人仲間や周りのタイ人、近隣のお坊さんと仲良くして、ご迷惑程度を少なくしたいと心がけている。

母はみんなから好かれる人だったし、我々兄弟を慈しんで育ててくれた。だから今日も無事に過ごせているように思う。本人は不本意かもしれないが、自分たちはちっとも迷惑なんて思っていないのだから、しばらくはこの穏やかな日が続いてほしい、と願っている。



写真はチェンライの花博から