チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

プラユット首相はよくやっている

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プラユット首相はよくやっている

■タイ首相新年の贈り物
タイ軍事政権は22日、プラユット暫定首相が自ら作詞したとされる歌を報道陣に披露した。愛国心を鼓舞する歌詞で、昨年5月のクーデター以降、プラユット氏が歌を作ったのは「タイに幸福を取り戻す」に次いで2曲目。

新曲のタイトルは「あなたがタイだから」。地元メディアによると、「あなたを愛し、何よりも固い絆で結ばれている/あなたがタイだから/誰にもあなたを破滅させはしない」などといった内容のバラードで、プラユット氏は記者団に「国民への個人的な新年の贈り物として作った」と説明した。
愛国心に訴えて国民に団結を促す狙いがあるとみられる。一方で軍政は、反政府活動家の身柄拘束や不敬罪による摘発などで、軍政や王室に批判的な動きを徹底して封じ込める姿勢を崩していない。【12月22日 時事】

ところで、一昨年6月に作詞した「タイに幸福を取り戻す」の歌詞は「国家は危機に直面している」「愛を取り戻すため」「手遅れになる前に介入させて欲しい」「時間が少しかかるが、待ってもらえないか」「タイは良くなる。幸せは戻ってくる」といった内容。

さて、タイは良くなり、幸せは戻ってきただろうか。

■米国からの批判
軍政はクーデター後、タクシン派の政治家、政治活動家、ジャーナリスト、不敬罪に批判的な学識者ら数百人を召喚し、多数の身柄を拘束した。また、警察長官、県知事などタクシン派の幹部官僚多数を更迭した。さらに、テレビ、ラジオを管理下に置き、報道内容を厳しく統制している。集会は禁止されているし、不平を言えば再審なしの軍法会議で「不敬罪」に問われ、禁固刑が下される。

タイ米国大使、デイビス氏は昨年11月にバンコクのタイ外国人記者クラブで記者会見した際に、この問題に言及し、「平和的に意見を述べただけで投獄されるべきではない」、「軍法会議が一般市民に不敬罪で長期刑を科すのを懸念している」などと述べた。これに対し、タイ警察は不敬罪容疑でデイビス大使の捜査を開始した。タイの同盟国である米国の大使に対する捜査は異例中の異例。一昨年5月のタイの軍事クーデターで冷え込んだタイ米関係はさらなる悪化が避けられない見通しという。

また昨年12月、ダニエル・ラッセル米国務次官補はプラユット首相と会談した際、総選挙と民政復帰を重ねて要求した。
首相はこれに対し、「民主主義は選挙だけではない」「国によって発展の度合いは異なり、米国は一つの基準で見るべきではない」などと反論。軍政の目標は強固な民主主義と透明で公正な政府を確立することだと主張した。

■民主主義で命は守れない
プラユット氏の言うように選挙イコール民主主義ではないし、国によって民度が違う。タイ都市部のインテリは自分の1票と北タイの農民が同じ価値の1票を持つことに我慢ができない。東京に住む人だけが政治に参加し、東北出身者は女中かタクシー運転手、警備員をやっていればいい、選挙権などなくていい、日本なら何を馬鹿な、と一笑に付される話だが、タイにはタイの民主主義がある、というタイでは国民間の差別は当然のことだ。ここで選挙を強行すれば、クーデタ前と同じく、赤シャツのタクシン派と王室擁護の黄シャツ派との間で抗争が激化し、流血の惨事が起こる。デモで空港がマヒすれば、せっかく年間3千万人と過去最高を記録した観光客数が激減する。

選挙さえすれば民主主義でよろしい、というものではない。アフガニスタンイラクリビア、エジプトで総選挙や大統領選挙が行われたが、平和は戻ってきたか。ムバラクフセインカダフィといった独裁者の時代のほうが「国民の命と暮らし」は守られていたではないか。

健康のためなら死んでもいい、という人がいる。健康法で命を縮めるのは本人の勝手だ。しかし同様に民主主義のために国民の命が失われ、難民が発生してもよい、というのでは本末転倒、何のための民主主義かわからない。

人を見て法を説け、という。民主主義がうまく機能する国としない国がある。米国はそれに気づくべきだ。プラユット首相は米国高官に発展途上国としての正論を述べただけ。

自作の歌を国民に贈るというセンスはともかく、「国民の命と暮らし」を守っている点で、プラユット氏は優れた為政者といっていいのではないか。