チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ3年6カ月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

介護ロングステイ3年6カ月

■何もかも億劫になる日が
少しずつ衰えていく母をみていると、それはそれで生者必滅、会者定離、自分も間もなく母と同じようになるのだな、と無常観を感じる。テニスだってそのうち出来なくなるだろうし、タイ語の授業も億劫になる。パソコンの前に座ることもなくなるだろう。酒も飲めなくなる。

母の祖父は国税局の日本酒鑑定官をしていて、女学校に通っていた母によく酒を飲ませたらしい。だから酒の味には敏感だった。認知症の症状が現れた頃から、ビールで晩酌をするようになった。500m缶を1缶から2缶。100%麦芽の高いビールから発泡酒に代えたら、代えたね、まずいと怒られた。

チェンライに来た頃もシンハビールを1缶飲んでいたのだが、ある時、苦い、いらないと言ってあれだけ好きだったビールを飲まなくなった。

自分は無為徒食の身、現役世代からは僕らの掛け金で生活して、と妬まれている日陰者である。だから毎日、ビールなど飲んでいてはお天道様に申し訳ないのではと自問する。自問するばかりか今日は酒をやめようかなあという日もある。
そんな日に限って、ゴルフから帰ってきた兄が、「おふくろだって飲めなくなったんだ。そのうち飲めなくなる、飲めるうちが花だぞ」と言ってビール瓶とつまみを持ってくる。

そうだな、親父だってもっと飲みたかったに違いない、じゃ付き合うか、一杯のビールに無常観はさっぱりと洗い流される。

■リハビリ再開
最近の母は女中さん二人の介助があっても立つことすらおぼつかない。左足が曲がったままになっており、伸ばすと嫌がる。お母さん、また歩けるようになりたい?と聞くとウン、と頷く。病院の整形外科に連れて行った。医師は母の足を触って、歩けるようになるでしょう、但し1月はリハビリをしないと、という。それから理学療法士が自宅へ来て毎日1時間、マッサージをしている。時には助手の女の子と二人掛かりで足を揉んだり延ばしたりしている。
2年ほど前、2週間ほど入院していたため筋力が落ち、体が蛸のようにグニャグニャになったことがある。この時も往診リハビリを頼み、おかげで母は立てるようになった。その時と同じ理学療法士の女性が来てくれている。安心である。

日本であれば「もうお年ですから」と言ってリハビリなどしてくれないだろう。しかし、このまま何もしなければ確実に寝たきりになってしまう。
女中たちは「もう86歳という高齢なのですから、無理なことはさせず、ゆっくり過ごされては」と言っていた。でも介助されても立てたり、もしかして歩けるようになれば女中さんも楽だし、本人も気力が湧いてくるかもしれない。

本人もやると言って始めたリハビリだが、お母さん、今日もリハビリ、頑張ってね、というと「頑張れない」と呟く。えっ、もういいの?と聞くと頷く。
お母さんが元気で長生きしてくれればみんな嬉しいんだからね、というと「そうなの」という。
チェンライに来た頃、「お母さんもう死ぬよ」と呟いて我々を心配させたが、それからもう3年半たつ。これだけ頑張ってくれているのだから更に上を望むのはいけないのかもしれない。

■死に方は選べない
自殺を別にすれば人はどんな死に方をするのか選べない。どんな病気で死ぬのかもわからない。PKO(ポックリ、コロリ、往生)を願っていても、脳出血で長年寝たきりで、あるいはがんとの闘いの末に枯れ木のように痩せこけて死ぬ人もいる。

96歳にして大学に入学した歌川豊國という人が書いた「96歳の大学生」という本がある。自分の健康の秘訣、幸福に老いる10の心得などを説いている。限りある身の力試さん、アンビシャスの心意気、と元気な文字が躍っている。大学を卒業したら大学院で美術を勉強したい、やりたいことはまだまだある、130歳までは生きる、と書いてある。しかし入学翌年、97歳で亡くなった。こんなはずでは、と本人は思ったかもしれないが、長命で突然の死であればもって瞑すべきといったところか。

塩野七生さんの「ローマ人の物語」は1992年から刊行されている。母は塩野さんの大ファンだった。
カエサルはね、生前に死に方を問われた際に「思いがけない死、突然の死こそ望ましい」と答えているのよ、突然の死、私もそうなりたいね、などと言っていた。その母にしてみれば今の生活はかなり不本意であろう。こんなはずではなかった、と本人も思っているかもしれない。

西行は歌の通り、春如月、桜の花の咲く頃に亡くなったらしい。でもこういう人はまれで、自分もこんなはずでは、という最期を迎えることになるのだろう。我が人生、これまでと同じく最後も思い通りにはならない、まあこれでいいか。

写真上から「家でリハビリ」「病院駐車場」「病院の日本語表示」