尖閣諸島再び(2)
■理屈はどうであれ力が優先
フィリピン、ベトナム始めアセアン諸国が何と言おうと、南シナ海を「中国の湖」にしようと中国は軍事行動や威嚇行動で領有権を拡大してきた。
以前は明時代の古銭をばらまき、それを海に潜って拾い上げ、「このように島周辺から明代の古銭が発見された、明時代から南沙諸島は中国の領土だった」などと姑息な手段を取っていたが、今は漁業監視船という武装艦が睨みを利かせている。
米国海軍大学校の「中国海洋研究所」のピーター・ダットン所長は中国の海洋戦略の特徴として「領有権主張では国際的な秩序や合意に背を向け、勝つか負けるかの姿勢を保ち、他国との協調や妥協を認めません」と指摘した。「中国は自国の歴史と国内法をまず主権主張の基盤とし、後から対外的にも根拠があるかのような一方的宣言にしていく」のだという。
まさに俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの、という無茶苦茶な論理だ。
尖閣諸島近辺は有望な漁場であるが、日本の漁船が行くと中国の漁船に囲まれ、操業できないという。漁場まで行くには油代もかかるし、網を切られたりすれば元も子もない。中国は不法に日本漁船を締め出しているのだが、日本政府は「中国を刺激しない」という方針のもと、何も手を打っていないのが実情だ。
■確たる証拠
尖閣諸島は明時代から中国固有の領土、確たる証拠がある、と中国はいう。「確たる証拠」というのは中国の決まり文句だが、南京事件でも尖閣諸島帰属問題でも「確たる証拠」を出してきたことがない。
尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。
そして最近、尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。
石井准教授は「中国が尖閣を領有していたとする史料がどこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島を琉球だと認識した史料もあったことが分かり、中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」と指摘している。(2012.7.17 産経新聞)
■誰が守るか
何度も言うが、中国にとって歴史的根拠や実効支配などは問題ではない。中国が領土と宣言すれば、中国の領土とする。悔しかったら自分の力で守ってみろ、それができないなら強い国がやることに文句を言うな、これだけである。だから証拠を基にいくら尖閣諸島が日本の領土であると主張しても中国は何の痛痒も感じない。
ある日、遭難したと称する中国漁船が尖閣諸島に乗りつけ、漁船員が上陸する。巡視船は人道上、「遭難漁船員」を排除できない。その後、次々に屈強な男達が上陸してトーチカを建設し始める。そして「主権」を守るために中国の武装艦が東シナ海を遊弋し、日本漁船や巡視船を威嚇する。これはすでに南シナ海で経験済みのストーリーだ。
こうなったら日米安保条約に基づいて米軍が動いてくれると思うのは甘い。
ヴァンダービルト大学 日米研究協力センターのジェームズ・E・アワー所長は、7月18日付産経新聞正論、「尖閣防衛の先頭に立つは日本だ」の中でこのように述べている。
「韓国や台湾は、軍事力によって攻撃されれば、まず間違いなく直ちに対応するだろうし、米国もまた時を移さず対応するだろう。だが、尖閣諸島の名を知る米国人はたぶん、ほとんどいない。
したがって、日本が、たとえ米国から非常に好意的にみられているとはいっても、自国固有の領土だと自ら正当に主張している尖閣諸島に対する中国の侵略を撃退すべく、迅速かつ積極的に対応しなければ、なぜ、日本の本土から遠い、比較的に小さな諸島を守るため、海兵隊をはじめとする米軍の兵士たちの生命を危険にさらさなければならないのか、と米国人は怪訝(けげん)に思うかもしれない」と中国との対決に躊躇の姿勢を見せている。
134もの軍事基地を米軍に提供し、軍人家族の光熱費まで日本政府が負担していても、日本がやるべきことをやらなければ米軍は動かないという。
話してわかる国ではない。国際世論や米国もあてにはできない。であれば取るべき方策は決まっている。しかし、国家百年の計であるエネルギー政策さえ「国民の議論で」と何も決めない政府だ。現政府のままでは尖閣諸島は中国に献上することになるだろう。
写真はマンゴーと今盛りの竜眼、木に鈴なりです。ライチより甘くて好きです。