チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ2年2カ月

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介護ロングステイ2年2カ月

雲南から自宅へ
ここ2週間は慌ただしい日々であった。
東日本大震災が発生した日は中国の昆明にいた。昆明に長期滞在し、お茶の研究をしている友人Fさんの案内で市内観光しているときに地震第一報を受けた。日本からの短い電話連絡では詳細が分からず、すぐにFさんのアパートに取って返して、インターネット、中国電視台のテレビニュースで情報収集に努めた。死者100名も、という報道には、神戸淡路大震災の時の初期情報を思い出し、こんな少ない被害では済まないよな、などとFさんと話し合ったことを思い出す。遠く雲南省にいて何もできないのであるが、かと言ってのんびりと旅を続ける気にもなれない。また絶望的につながりの悪いインターネットと中国語ニュースだけではもどかしく、13日に昆明から空路チェンマイに戻った。

■母の入院
翌14日にチェンマイからチェンライに帰宅。留守中に母が体調を崩し、食事を摂れなくなったので、1日ほど入院し、点滴を受けたと兄から聞かされた。この1,2カ月、母は急激に衰えたような気がする。もう介護なしでは歩行もおぼつかないし、日中も寝ていることが多い。目覚めるのが午後遅くになって、食事が1日1回ということもある。食事はオイさんが匙で口に運ぶのであるが、一回の食事に2時間、場合によっては3時間かかる。日本の施設で入所者の食事に3時間付き合ってくれるところはない。細くはあっても食事を摂ってくれているうちは大丈夫だろうと思っている。

幸い、病院で受けた点滴で元気を回復した、とのことであるが、その後、食事をイスに座って、ではなく、ベッドで寝たまま摂ることが多くなった。水分は少量ずつ、オイさんが注射器で口へ注入する。咽たりすると誤嚥から老人性肺炎、とすぐ悪いことを考えるのであるが、寝ながらでもせき込むことなく上手に食事をしていた。

■弟夫婦来訪、メール対応
大震災後の騒然とした時期ではあったが関空出発ということで予定通り、弟夫婦が18日にやってきた。母は嬉しそうな顔もしなかったが、息子の顔はなんとかわかるのだろう、弟の手を握り返したりしている。息子が3人全員そろったところで母が元気を取り戻してくれれば、と願わずにはいられない。弟は日本から食材をたくさん持ってきてくれたが、今の母に食べてもらえるものは少ない。母は歯が一本もなく、入れ歯を嫌がるので、噛まなくても食べられるものばかりだ。バナナ、マンゴー、まだ出始めではあるがドリアンもよく食べる。兄の作ったポテトサラダもよく食べる。
卵入りのお粥は定番であるが、飽きたのか、匙を舌で押し出して「拒否」の意思を表す。無理にでも食べさせるのがいいのか、好きなものだけ食べてもらう方がいいのかわからない。いずれのことも自分では決めかねて、成り行きに、また女中さん任せになっているような気がする。

先週以降、各地の友人、知人から大震災の報告メール、お見舞いメールを沢山頂いた。震災直後の様子もわかった。タイ語のジアップ先生、アカ協会のアトゥ、ラオス旅行で一緒だったマンフレッド夫妻等、多くの人から温かい励ましのメールを貰った。買い物に行けば、スイカ売りの少女までが日本人とみてお見舞いの言葉をかけてくれる。メールの返事を書いたり、終日、テレビニュースやネット情報で一喜一憂したりと、一日、一日が実に早く過ぎていく。

■母の再入院
そうこうしているうちに21日、母の月一度の診察日がきた。主治医のプルーム医師が手術の執刀中、ということで冷房の利き過ぎた院内で2時間以上診察を待たされたことがよくなかったのかもしれない。その晩から熱を出した。熱さましの薬で夜半に一度熱が下がったが、翌朝になって熱が再び上がってきた。救急車で病院へ担ぎ込んだ。すぐに診察してくれたプルーム医師の話では、シリアスな状態ではない、2,3日の入院で回復するでしょう、との話である。
しかし、なんといっても85歳の高齢、体力が落ちているし、肺炎を起こしている可能性もある。今回の入院は長丁場となるかもしれない。

日本のことが気にかかるが、福島の原発事故も最悪の事態は避けられたようであるし、物流も回復してきた。これから日本では復興に向けて力強い歩みが始まることと思う。日本の皆さんも頑張っているのだからお母さんもしっかりしてね、と言っても、酸素吸入を受けている母にわかってもらえるかどうか心もとない

写真は旅行先の景洪(ジンホン)市で撮影。路上での食事風景、一番下は揚げパン