チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ15ヶ月

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介護ロングステイ15ヶ月

月に一度の通院日である。一応、午前9時半と診察時間が決まっているのだが、女中のブアが9時をかなり過ぎてもまだ行かなくていいと言う。プルーム医師が病院に来て診察を始めたら、看護師が電話をくれるから大丈夫とのこと。日本であれば病院の診察時間を守らないと大変だが、タイではそれほど厳格ではないようだ。以前、診察日前日に今から診察するから来てくれるか、明日先生が休むから、という電話がきてあわてて母を病院に連れて行ったことがある。病院から3キロのところに住んでいることを知っているのだろうか。

母の具合は相変わらずである。医師が万歳をして下さい、というと両手を挙げる。診察が終われば、手を合わせて挨拶をする。そのたびにプルーム医師は相好を崩して喜ぶ。精悍な顔付き、チェンライでも指折りの外科医だそうだが、本当は好人物のようだ。

夜、大声を出して午前4時くらいまで寝ないこともあり、私も女中さんも眠れず大変なのですが、と訴える。プルーム医師は、もう脳が萎縮しているから仕方ないです。睡眠薬は危険ですから出しません。夜寝ないのは昼寝をしすぎるからです、と素っ気無い。タイには市販の睡眠薬はない。必要な場合は病院で処方してもらうのだが、効き目がすごい。一度、病院から入眠剤を貰って飲んだことがある。夜だけでなく次の日もずっと眠く、昼過ぎまで寝ていた。タイで巻き込まれる犯罪の一つに睡眠薬強盗がある。勧められた飲み物を飲んだら意識を失い、気がついてみたら旅券からお金からすべてなくなっていた・・・ 地元紙を読むと邦人ばかりでなくファラン(白人)もよく被害にあっている。被害者の中には1週間以上意識不明となり、脳に後遺症が残った人もいるという。確かにタイの睡眠薬は母には危険だ。

昼寝はよくしている。認知症が進むと日中でも寝ていることが多くなるというが、母はまだそこまでいっていないようだ。もう1人の女中さん、インさんは昨年の6月に我が家に現れたとき、壁をスーッと通り抜けてしまうほど影が薄く、背後から大正琴の「昭和枯れすすき」が聞こえてくるような人だった。体重は、おそらく40キロはないだろう。非力なので母が転んでも起こすことができない。でも食事やトイレなど母の面倒をよく見てくれていた。しかし、ここ2,3ヶ月、インさんは体の調子が悪く、夜も昼も母と一緒に寝ていることが多くなった。昼寝をするので夜は寝ない。夜寝ないから昼寝をする、の悪循環に母は陥りかけていた。体の弱いことを別にすればインさんにはそれほど不満はなかったのであるが、本人から4月に辞めたいとの申し出があった。10キロほど離れた村に住むお兄さんがトラックでやってきて、彼女をそのまま病院に連れて行った。その後ずっと入院しているらしい。

女中さんの代わりはなかなか見つからない。丁度、日本から息子がチェンライに来ていて母の面倒を見てくれる。おばあちゃん、ぼけていないんじゃないの、と彼が言う。「僕に手を合わせて『陛下、陛下、』と言っていたよ」。眼鏡をかけているが、息子は昭和天皇とは恐れ多くも全然似ていない。また、「はい、大変お世話になりました、おいくらでしょうか。あっ、財布を忘れた」と言ったこともある。ここにいるのは旅行で一時的に滞在している気になっているようだ。早く帰ろう、早く帰ろう、としきりに言うが、何処に帰るかは判らない。

自分に「先生、先生」と呼びかけるので、「先生をしていたことはあるけど、お医者さんじゃないよ、息子の英樹だよ」と言うと、目を大きく見開いて「ああ、やっぱり」などと驚いてくれる。それなのにしばらくすると、「あんたは私のお父さんかい?」と言う。息子、孫はお父さん、女中さんはお母さんだ。

そんな母だが、お客さんにはちゃんとした挨拶や受け答えをすることが多い。また、車椅子を押す兄には「いつも面倒かけるねえ、お母さんはもう長いことないよ」とよく言うそうだ。「お母さんが元気だと皆うれしいんだよ、ずっと長生きしてね」、「そうかい。そうだよね」。

80過ぎても母であり、60過ぎても子供は子供だ。何気ないやり取りの中にも、昔のことが思い出されて切ない気持ちになってしまう。


画像はチェンライで今盛りの花です。レモンイエローの藤のような花はチャイヤプルックといいます。