チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオス旅行 10

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

ラオス旅行(10)

■一泊5ドル
ウィーンの夫婦はまるで逃げられてはいけないというように自分の両脇に立って、彼らが予約しているホテルへと自分を連れて行く。ホテルはソンテウが停車した場所から1,2分のところだ。生憎、ホテルは満室。1時間後にロビーで落ち合うことにして、こちらは今晩の宿探し。いくつか見て回る。まだラオスの通貨、キップの換算感覚がつかめず、高いのか安いのか見当がつかない。どうやら大通りに面したホテルやGHのルームレートは3万キップから5万キップというところらしい。冷静に考えると一泊3ドルから5ドル、250円から430円である。
ルアンプラバンで、適当に一泊15ドルのGHに投宿した時、後から入ってきたバックパッカーのお姉さんが、え、15ドル? また来るわ、と出て行った理由が分かった。チェンマイの邦字紙、「ちゃーお」の編集者Yさんは自分と同時期、ルアンプラバンを旅行していたようだが、GHの宿泊代は5ドルだったと旅行記に書いている。ネットではルアンプラバンで一泊2ドルのGHに宿泊できたという情報も載っていた。ラオスのGHは一泊5ドルが標準と言っていいのではないか。いくら世界遺産の観光都市でも1泊15ドルは高かったか。

翌日の予定や必要な情報を得るためにゆっくり宿さがしもしていられず、結局1日5ドルのGHに決めた。荷物を部屋に放り出すと、目星をつけておいたツーリストへ行く。6時過ぎではあるが大通りで灯りが点いているのは食堂と旅行代理店くらいだ。

■満月祭りはあるらしい
机が一つとイスが二つ。何枚かのポスターと手書きのトレッキングツアーのメニューが貼ってあるので、旅行代理店と分かる。机の前に座っている30代の男性が店主のようだ。アランから聞いた満月祭りについて早速取材を始める。わかったことは以下の通り。

・ルアンナムターから50キロ離れたムアンシンという街で明日、満月祭りがある。これ以外に県内で大きな祭りはない。
・満月の祭りは県内外から相当数の人が集う
・祭りは仏教中心の祭りで、アカ族の祭りではない。(アカ族は基本的にアミニズムの精霊信仰であるので、仏教やキリスト教行事には参加しない)
・祭りは朝から夜遅くやっている。
・ルアンナムターからムアンシンまではバスもあるが不便なので、ミニバスのチャーターをお勧めする。チャーター料は夕食、ガイド料込で100ドルである。

そういえばアランはルアンナムターでバイクを借りていく、と言っていた。明日、バイクを借りてムアンシンとやらへ出かけるのも悪くないが、満月祭りというからには、夜がメインだろう。真っ暗闇の山道を50キロ以上戻るのは、20年前ならいざ知らず、今の自分にはちと荷が重い。
いつもせいぜい一泊500BのGHにしか泊まらない自分を人はけちんぼだと思うかもしれない。しかし、こうしようと思ったら、金に糸目をつけずに即断することがある。
それでは私一人でもミニバスとガイド代を払うので、その手配をお願いします。13時出発、22時帰着? その予定でいいです。

■個人で車をチャーターして・・・・
ウズベキキスタン西部にある世界遺産、中世の城郭都市ヒバに行ったことがある。紀元前からの廃城(カラという)がヒバの近郊、カラクルム砂漠の中に点在している。ヘロドトスの「歴史」にはこの辺りには1000を超えるカラが存在すると書かれているそうだ。もうヒバには来ることはあるまい、と思うと砂漠に残されたカラをどうしても見たくなった。もちろん観光バスが走っているわけではない。値切りもせず個人で運転手つきの自動車とガイドを雇い、何百キロも砂漠の中を走り回ったものだ。ウズベクも物価の安い国であるから、その費用は70ドルか80ドルではあったが、その時の自分にとっては、清水の舞台から飛び降りるくらいの決断と出費であった。

個人で車とガイドを雇う、ヒバのカラ巡り以来だ、と気分が高揚する。しかし清水の舞台から飛び降りる、金に糸目をつけずに、などと興奮したところで、せいぜい100ドルの話だ。ジェット機をチャーターしたわけではなし、やはり自分は貧乏性なのか?

実はムアンシンの満月祭りのことが「ロンリープラネット」に出ていました、と言ってマンフレッドは厚いガイドブックを差し出した。妻のセイダが、10月から11月の満月の夜に開かれると書いてあるのですが、もうその時を過ぎたものだと思っていて、とマンフレッドに目を向ける。夜のレストランは我々と数人の若いファランのグループだけだった。若者グループはビール瓶を並べてご機嫌だ。マンフレッドが、あれはスイス人ですよ、変なドイツ語を話しているから、と微笑んだ。(続く)

写真はルアンプラバンの市場。
パン屋の屋台はタイでは見かけないものです。サンドイッチを即売してくれます。