コインの裏表
■センチメンタリズム
ラオスの山村でおびただしい子供たちを見て、柄にもなく感傷的な文章(前号)を書いてしまった。発展途上国の旅行記によくあるパターンだ。いわく、貧しいながらも幸せに暮らす人々、子供たちの笑顔、人のやさしさ、これは私たちが忘れてしまったものではないだろうか、豊かさとは、幸福とは何かを改めて考えさせられた、云々。
実を言うと自分はこういった「貧しくても幸せ、豊かさの陰で、実は不幸」、といった考え方には与しない。それでは恵まれている今の自分の生活と、貧困にあえぐ後進国での生活を取り替えましょう、といった人を見たことがないからだ。スイッチを押せば電気がつき、蛇口からいつでも安全な水が出てくる環境から、水は山の湧き水に頼る生活に変われるはずがない。それがわかっていながら開発途上国の人々の暮らしが幸せなどというのは傲慢ではないだろうか。
何事にもコインの裏表がある。ラオスではやたらに子供がいる。どこでも子供は可愛いので、それを見れば幸せな気持ちになる。しかし、発展途上国で出生率が高いのは子供でも労働力として役立つ、つまり子供が多い方が生活の向上が見込めるという経済合理性があるからといえる。
生活水準を昭和初期に落とせば、ラオス並に出生率が高まり、日本の少子化問題は一挙に解決するだろう。でも後戻りは不可能だ。少子化がコインの裏ならば豊かな生活はコインの表だ。
■ダム工事で消滅した村
ビエンチャンから100キロ北にあるナムグム河に日本の援助で水力発電所が作られた。1970年代初め、まだパテトラオと政府軍が武力衝突を繰り返していたころだ。ダムの近くにある村はそれこそ何百年も前から同じ暮らしをしていた。朝になったら起きて農作業、河での魚捕り、冷蔵庫はもちろん電気がないのだから、その日食べる魚を取れば十分だ。夜になれば焚き火の周りで酒を飲んで歌って踊り、眠くなれば寝る。貧富の差はほとんどなく、自給自足の暮らしを営む長閑な村であった。ところがダムの工事が始まると村の様子は一変する。工事に雇われる人、また工事関係者に物を売る人が出てきて、村人に経済格差が生じた。それまでは金銭経済とほとんど無縁の暮らしだったが、お金は人を変えていく。こうしてダムが完成する頃には、村は解体し、人々は散り散りになった。
ダム建設は本当に村の人に幸せをもたらしたのだろうか
朝起きて働き、自然から足るだけのものを得、夜になったら寝る平等で平和な共同体を滅茶苦茶にした、という人はいるだろう。でも自分はそう思わない。誰もがよりよい生活を求める、それは当たり前だ。国にも豊かになる権利と義務がある。ダムは完成し、そこで作られた電力は密林の高圧線を通って今でもタイに輸出されている。
昔からの共同体が消滅し、散り散りになった村人へ哀惜の念を感じないわけではない。しかしダムの完成により外貨が得られ、それによって潤っている国民も数多くいるに違いない。開発の道をどう選ぶか、それに伴って起きる問題をどう解決するかは、その国の人が自ら決めるべきことで、恵まれた立場にいる人間の無責任なセンチメンタリズムであれこれ言うべきではない。
■翻って日本を
すべての事柄には光と影がある。100%正しい、100%悪いといったことはないのではないか。
今年は円高で始まった。自動車、電器産業のように製品の輸出価格が下がり、先行き大変、という業界もあれば、石油や旅行業界など円高メリットを享受している業界もある。押しなべて社会は相撲と同じで9勝6敗の力士もいれば7勝8敗の力士もいる。全力士が勝ち越すような相撲はない。
ところが今の民主党政権は国民全員が8勝7敗、いや10勝5敗になるのです、と言い続けてきた。普天間基地問題、尖閣漁船衝突問題、朝鮮半島有事、後はどうとなれのバラまき予算・・・・、無知、無恥、無責任のごまかし内閣、と日本から来る知人が皆、怒っている。
しかし、民主党政権のおかげで8割の日本人が中国嫌いとなり、中国は嘘つきだよね、と正しい歴史認識を持てるようになった。民主党は沖縄から米軍に出て行ってもらう、といったが、そのためには当然、憲法を改正し、自衛力を増強し、自分の国は自分の国で守るという流れになる。民主党はその道筋を示してくれた。また政治家は当てにはならない、自分の生活、自分の国はやはり国民が守らなければ、という独立自尊の精神を国民に植え付けてくれた。
このように民主党にもいいところはある。今年は菅さんにもっと頑張ってもらって、早く解散総選挙にならないか、と期待しているのだが。
写真一番上はラオスの子供、以下ラオスの仏像、ラオスでの朝食、
最後はやはりラオスのビール「ビララオをハーフ&ハーフ」で