ラオス旅行(7)
バス泊のあと世界遺産ルアンプラバンに2泊、そこから北ラオスのルアンナムターへと向かいます。旅行記もやっと後半にさしかかりました。
■ルアンプラバンからルアンナムターへ
「ラオス路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨むカーン川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い山林地帯を貫いていた・・・・・」
藤村ならばルアンプラバンからルアンナムターへの道をこう描くだろう。ラオスの国土の70%は山地である。この山々は東ヒマラヤ山系に属し、遠く中国雲南省からラオス、タイ、ビルマまで続く。だから桂林の漓河から見る奇山秀水の風景をルアンプラバンのメコンから見ることができる。もちろんチェンライにも「巌峨々たる岩石」といった山水画を思わせる山があるが、残念ながら独秀峯とか伏波山、畳彩山といったしゃれた名前が付いていないので観光客は来ない。
ルアンナムター行きのミニバスはバスといってもハイエースタイプ、3人掛け5列、15人がぎっしり詰まっている。客のほとんどがファランだ。屋根には彼らの荷物が山のように積まれている。車の重心は高く、カーブでは車が横倒しになるのではないかと心配になる。今日も8時間のバスの旅だ。
■走り出すにも一苦労
このミニバスに乗るに当たって一悶着あった。朝、8時にはバスがGHに迎えに来る予定だった。8時前からGHの前に立って待っていたが、バスは来ない。8時過ぎに100mほど離れた旅行代理店に確認に行ったが、必ず来るからGHで待っていなさい、とのこと、ところが8時半を過ぎてもバスは来ない。ずっと立っている自分を見かねて客待ちをしているソンテウの運転手たちが「どれ、チケットを見せなさい」といってチケットを見る。GH横の屋台ラーメン手伝いの女の子まで、どれ、私がチケットをチェックしてあげましょう。この子は「同情するなら金をくれ」時代の安達祐美そっくりの子だったので躊躇したが、チケットを見て、「旅行代理店に行ってみたら」、と皆と同じアドバイス。3回もツーリストとGHの間を行ったり来たりしたが、バスは来ない。
結局、車が到着したのは9時10分だった。みなさん、心配してくれてありがとう、ソンテウの運転手や女の子にお礼を言って車に乗り込む。みな英語が流暢だし、親切だ。この街のイメージがまた良くなった。
車は市内を抜けて、郊外のガソリンスタンドに入った。ところが燃料が売り切れ、車は油のあるガソリンスタンドを求めて、また市内へと戻っていく。大体、客を乗せて300キロも走るのだから、前日に燃料を満タンにしておくのが常識だと思うが、思い起こしてみるとフエサイからの深夜バスも出発してすぐに給油をしていたし、前日のメコン川下りの舟も客が乗った後、川べりにあるガソリンスタンドに接岸して油を入れていた。この国では客がいることを確かめないと給油はしないことになっているのか。ラオスのガソリンスタンドは実にシンプルだ。軽油とレギュラーの2つしかない。タイではガソリンであればハイオク、レギュラー、アルコール入りガソリンなど数種類あって、正しい給油口に停車するのに一苦労する。
結局、車は市内中心部に戻って給油し、ルアンプラバンを出発したのは10時となってしまった。
◆車窓から
車はまずカーン川に沿って山道を登っていく。道路は舗装部分と未舗装部分が半々といった感じだろうか。未舗装の道に入ると砂埃が舞い上がる。先行車があるととても窓は開けていられない。「後塵を拝する」とはこれほど辛いものか。
山あいの清流では、女性が洗濯をしたり、子供たちが水遊びに興じている。若い女性が川で行水しているのも見たが、残念ながら胸まで布で覆っていた。通り過ぎる集落の家屋は高床式で壁は竹、屋根は萱ぶきの粗末な家が多い。窓から5,6名の子供が外を眺めている。ラオスはタイに比べ、圧倒的に子供率が高い。小学生以下の子供だらけだ。母親と一緒に額に帯を回して荷物を運ぶ女の子、棒きれで筵の莢豆を叩いている男の子、それを赤ん坊をおんぶした10歳位の女の子が見ている。小さい手足を踏ん張って袋に燃料の薪を押し込んでいる子・・・、皆、親の手伝いをして一生懸命働いている。自分は新潟の小都市の生まれだ。小学校に上がる前、ちょっと郊外に行くとこの風景があった。あの子たちは半世紀以上前の自分であり、兄である。あの頃の自分には大学はもちろん、外国に行けるなどと思ったことはなかった。
あのあばら家の子供たちが将来、大学に行き、外国で暮らすことがあるのだろうか。ラオスの「夜明け前」は長くそして暗い。(続く)
写真上から、「メコン川から見た山」、「ガソリンスタンド」、「途中で遭遇した交通事故」(このために渋滞30分)