■旅の話は小休止
このところラオスのことを書き続けている。ラオスに旅行に行ったのは1月以上前のことで、バス泊を含めて5泊6日の小旅行であった。旅行記をブログ2,3本にまとめようと思っていたが、まだ旅程の半分もいかないのに数本費やしてしている。旅が終わるまでに10本は書くだろう。考えてみると昨年のサマルカンド、今年のアンコールワットも数日の旅であるのに10本以上書いている。我ながら文章をまとめる力がないことには落胆する。だらだら書いたものを読まされる身にもなってみろ、といった苦情が聞こえてきそうだ。
書くほうも大変なんです、と言いたいところであるが、旅に出てみると、見るもの、聞くもの面白く、人も同じように感じるかもしれないと、比較的筆が速く進む。この点、介護の話は個人的なことが中心で、それほど目新しいことがあるわけでもなく、大層書きづらい。また、介護にあたってそうそう変化があるのは好ましくない。毎日平穏無事に過ぎていくことが望ましいのだ。
■眼病に掛った
チェンライでの介護をはじめて1年11カ月、母はだいぶ弱ってきた。ベッドから食卓へ来るときでも2人の介助がないと腰から崩れ落ちてしまうことがある。抵抗力が落ちているのか1月ほど前に、左目が腫れて、まるでパンチを浴びたボクサーのように目の周りが黒ずんでしまった。母は車いすでの散歩が好きなのであるが、これでは家庭内暴力、老人虐待と人に思われかねない。散歩を控えざるを得なかった。
プルーム医師や眼科の専門医に診てもらったが、「心配ない、そのうち治ります」。プルーム医師は、「この前、渡した点眼薬を続けて下さい、今日はタダでいいです」という。診療時間は2,3分ではあるが診察料無料というのは日本の大病院では考えられない。もっともこの日は診察料200Bより高価な日本土産のチョコレートを進呈したが、そういう問題ではないだろう。ブアは何度もプルーム医師に電話で病状を説明したり、眼科の専門医の紹介を頼んだりしていた。彼はそのたびに丁寧に答えていた。医師と患者家族の在り方がタイではだいぶ違うようだ。
そのうち左目だけでなく右目も赤くなり、両目の周りが黒く変色し、心配していたが2週間も経つと、医師の言うとおり色がさめてきて病状は軽快してきた。まだ左目は腫れて塞がったままだが、そろそろ散歩も再開できそうだ。目の病名は未だにわからない。
■ブログとプライバシー
自分の書くものは友人、知人宛てのメール配信のほか、ITに詳しい友人の助けでブログにアップされている。訪問者の少ないささやかなブログであるが、形としては不特定多数の人がアクセスできる。時折、ブログを読みまして、といって訪ねてこられる方がいる。ブログを書いている以上、できる限りお目にかかるようにし、拙宅にお越しになる方には母の状況を見て頂くこともある。
母はプライドの高い人だったから、このように病み呆けた姿を人に見られたり、文章に書かれたりすることは本人にとっては不本意であろう。もし頭がしっかりしているなら、書くのはやめて、私にだってプライバシーがあるよ、くらいのことは言うだろう。介護のことが書きづらいのは母の人間としての尊厳ということがいつも頭にあるからだ。
このような折、あるテレビ局から「介護ロングステイ」について取材依頼があった。
「自らの経験をもとに、日本の医療制度の問題点を指摘できる、また日本を脱出して新たな道を切り開いた」人間として興味があるのだという。しかし、自分は日本の医療制度に問題があるにしてもそれを非難したことはない。仕方のないことだと思っている。日本でお世話になった介護関係の方たちには今でも感謝している。それにチェンライに来たのも決断力があってのことではないことも何度か書いている。取材目的、趣旨に多少違和感がある。
ブログを読んで訪ねてこられる方と面談することと、何百万もの人に映像で紹介されることは決して同じではない。いかなる形でも病んだ母を撮影されるのは息子として忍びないものがある。それに、取材者がいくら善意の人であっても編集の段階で、あらかじめ局で用意した台本に沿った発言しか採用されないとか、放映されないはずの映像が使われるという可能性もある。これは取材を受けた人からはよく聞く話で決して杞憂ではない。ブログを書いている責任とプライバシー保護との間に立って、未だにカメラの前に立つかどうかを決めかねている。
写真はチェンライの市場の風景。スイカは今が旬、揚げ物は鳥の足です。