チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ11ヶ月

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介護ロングステイ11ヶ月
月に一度の通院日、シブリン病院に行く。母は朝から機嫌が悪く、「おなかが痛い」と言い続けている。日本にいたとき、綿密な検査をしてもらったが腹部には異常はない。それに食慾もあり、毎晩ビールを飲んでいる。本当におなかが痛かったらビールなど飲めませんよ、と主治医に言われたことがある。漠然とした不安感を「おなかが痛い」という言葉で表しているのだろう。時には足が痛い、手が痛い、歯が痛い、頭が痛いという。お母さん、痛いところばかりで大変だね、と言って宥めるのだが、余り効き目はない。例によってプルーム医師の診察は1分か2分、一応、聴診器を胸に当てるのだが、母はシャツ、セーター、チョッキと3枚も着ている。その上から聴診器を当てても心音が聞こえるのだろうか。

病状が落ち着いているようですから、同じ薬を1月分出しておきましょう、で終り。薬は7種類ある。今回の診療、投薬料は2880バーツ、約8千円、毎回この程度である。シブリン病院では診察が終ると英文の「診療内容明細」と領収書を呉れる。これを所定の様式に従って和文に訳し、地元自治体(我々の場合は品川区)の保険課に還付申請書を提出すると、都の審査を経て支払った金額の9割が2ヵ月後に還付される。それ程難しい作業ではない。従って、タイで母に掛かる医療費は月々1000円ほどである。日本にいたときは近所の内科医に週1回、心療精神科に月1回通っていた。診察料、薬代の個人負担分は月1万円以上掛かっていたと思う。

平成19年4月に日タイ間で経済連携協定が締結された。本協定が実行されていく段階で、日本の国民健康保険がタイでそのまま使えるようになるらしい。そうすると、9割還付のための書類作りをしなくてもすむようになる。母は後期高齢者であるから、介護保険料も支払っているが、残念ながらタイではこの保険による介護サービスを受けることはできない。しかし、タイでは女中さん2人が24時間付ききりで介護してくれている。同じ屋根の下に住む我々も何かあればすぐに対応できる。介護の質、量は格段に上だ。日本で同様の介護サービスを受けることは不可能ではないが、金額はとてつもなく高額なものになるだろう。因みに女中さんの月給は一人、7000バーツ(2万円弱)である。

チェンライでの介護の利点は経済性ではない。介護はお金によってはかられるものではない。まず、この気候だ。現在は乾季、朝は15度、日中は26,7度、まるで高原にいるような爽やかさだ。シャワーも毎日浴びさせてもらっている。日本ではデイケアで入浴サービス、時には訪問入浴介護のサービスを受けていたが、せいぜい週2回だった。

日本にいるときは生活のすべてが母の介護を中心に回っており、限られた時間の外出しかできなかった。四六時中、母のそばに付きっ切りで、「お母さんやめて!何してるの!」と大声を上げていた頃を思うと今は天国のようだ。ほとんど毎日、3度の食事を母と一緒に取る。今日も沢山食べられていいね、卵豆腐、美味しいかな、などと話しかけながら、ゆっくりと食事をする。女中さんが1,2錠ずつ薬をおかゆと一緒に飲ませる。タイでは大きさが2センチ近くある薬があり、水で服用するとむせることがあるからだ。

母もそれなりに落ち着いてきたと思うが、それ以上に我々も気持の上で余裕ができた。母にもその分優しく接することが出来るようになったと思う。決して自分達に決断力や計画性があって介護ロングステイに踏み切ったわけではない。老老介護でこれでは共倒れ、というところまで追い詰められ、他に選択肢もなく、行けば何とかなる、とタイの生活を始めた。はじめは女中と言葉も通じず、色々問題もあったが、ここ半年は女中さんが定着している。母と言葉は充分通じないものの不思議にコミュニケーションもうまく取れ平穏な日々が続いている。

母の生活もさることながら、介護をしている我々もチェンライの生活を満喫している。週3回のタイ語の授業、ほぼ毎日のテニス、そして最近では、母を女中さんに任せ、北タイに住む邦人を訪ねたり、チェンマイの老人施設を見学したりと、生活態度が前向きに、積極的になってきた。介護に悩んでいた生活の後にこんなに充実した生活が待っていたとは・・・・
禍福は糾える縄の如し、これも母のお陰なのだろうか、今は天の配剤の巧みさに恐れ入るばかりである。

(本ブログは年末年始のお休みを頂きまして、1月7日(木)からアップの予定です。どちらさまも一つよいお年をお迎え下さいますよう・・・2010年も拙文にお付き合い頂ければ幸甚に存じます。)