チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオス旅行 5

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ラオス旅行(5)

ベトナム戦争終結から35年も経つのに・・・
ベトナムカンボジアラオスは、元は仏領インドシナと言われ、フランスの植民地だった。ラオスは1945年、日本の後押しで独立を宣言したことがある。当時のランサーン王国、シーサワンウォン国王は日本がフランス軍を追い払ったことをかなり長い間信用していなかったそうだ。日本軍の撤退後、フランスは再度この地を植民地化しようと軍隊を送ってきた。フランスの強欲さには恐れ入るが、インドシナの国民は日本の頑張りを目の当たりにしていたので、我々だってできると独立のために立ち上がった。独立戦争がこじれて、ベトナム戦争に拡大し、1975年の戦争終結までに幾多の生命が失われたのはご存知の通り。
結局、インドシナ3国は共産化し、官僚、軍人、富裕者、知識人は殺されるか、餓死と隣り合わせの政治犯収容キャンプ送りとなるか、ボート・ピープルとなって国を脱出するか道はなかった。ベトナムのベトコン、カンボジアポル・ポトと同じようにラオスにおいてもパテト・ラオが政権奪取後、多くの国民を裁判も開かずに処刑した。共産国というものはどこでも自分の意見と合わない人々を殺して平気、というところがある。
日本が経済白書で「もはや戦後ではない」と高度成長時代の幕開けを宣言したのは昭和31年のことである。インドシナ3国が「解放」されてすでに35年経つにもかかわらず、いまだに発展途上国から抜け出せない。何故だろう。

こういったことを書き始めると収拾がつかなくなるのでもうやめる。ただ、共産化の遠因となったフランスの、というか白人の強欲さ、悪辣さ、有色人蔑視の凄まじさには瞠目するものがある。それでも彼らは、アジアにフランス文化を匂わせる街並みを残したのだ、と自負するのだろうか。

■ルアンプラバンの見所
ルアンプラバンは小さな街だから、市内見物には1日あれば十分だ。見どころはシーサワンウォン通りにかたまっているし、この通り自体が1キロもない。朝市もナイトマーケットもここから始まる。ラオシルクやモン族の手織り布を扱う店もいくつかある。JICAのSVで手芸を教えていたSさんは手織り布に趣味があり、この街にある布地屋さんを店ごと買い占めたいと思ったそうだ。(写真上)
自分には布の良しあしを見分けることはできないし、布地を集めるという趣味もない。布に限らず、見る目がある人には品物が「私を買ってください」という呼びかけが聞こえるそうだ。そういう人には自然といいもの、お宝が集まるようになる。自分に「私を買ってください」と呼びかけてくるのはビヤラオ(ラオスのビール)かラオカオ(焼酎)くらいというのは情けない。

ルアンプラバンは人口の1割がお坊さんと言われるほど坊さんの数が多い。早暁、托鉢に歩くお坊さんの列と喜捨をする庶民の姿は、メコンに沈む夕日と共に、この街を訪れる観光客の人気被写体となっている。(写真上から2・3番目)
日本からのツアー客は、1日目は街の散策、2日目は船に乗ってメコン川の上流25キロのところにあるパク・ウー洞窟やその少し手前のバーン・サーンハイと呼ばれるラオラオ(ラオ泡盛)造りの村、あるいはパク・ウー洞窟のさらに5キロ上流にあるクアンシー滝などを訪れるのが普通だ。
自分もボートツアーを申し込んだ。クアンシー滝は「泳げます」と言う。水泳着を持ってきていないし、人が泳ぐのを見ているだけではつまらない。洞窟と酒造りの村の2つだけのツアーに申し込んだ。費用は420B(約1200円)。

■舟に乗るのも一苦労
ツアー当日、集合場所のツーリスト前には10人ほどのファランが集っている。8時集合であるのに店のドアは鍵が掛かったままだ。皆が不安に思い出した8時10分に鍵を持った店の人が現れた。チケットを確認すると、客を歩いて5分ほどのメコン川舟待ち広場へと連れて行く。ここには数十人の観光客が集められていた。ここでまた30分以上待たされる。シャキシャキした女性が出てきてチケットの番号を読み上げる。はい、はいと返事をして、呼ばれた人は女性の横にいる船頭のところに行き、彼につれられて川岸へと降りていく。(写真4番目)

川岸には大小のロングテールボートがひしめいている。先ほどまでどこから来たの、などと少し打ち解けていた観光客は安寿と厨子王のように別々の舟に乗せられていく。自分は30人乗りボートに乗ったが客は5人だけ。(写真下)他の舟も客は数人しか乗っていない。どうせ行くところは同じなのだから、1艘の舟に30人乗せたほうが効率的だと思うが、舟の数に応じて平等に客を分け合うという共産主義の麗しい側面が出ているのだろう。(続く)