チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオス旅行 6

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ラオス旅行(6)

メコン川舟遊び
舟はエンジンの音を轟かせてメコン川を遡る。どの舟も目指す場所は同じだから広い川はまるでドラゴンボートレースのようだ。乾季であるので水量は少ないがそれでも川幅は200mはあるだろう。雨季には水に浸かる川岸が今は砂地となり、耕されて野菜畑となっている。小さな女の子が体と同じくらいの大きな如雨露で野菜に水をやっている。夫婦が鍬で土を起こしている。かなり広い畑でも小型トラクターなど農業機械はみかけない。川には中州があり、潅木や草が生い茂っている。中州といっても森が茂っていて、家が建っている島と言っていいような中州もある。川から10mくらいせりあがっているから雨季でも家まで水が来ないのだろう。
メコンと聞くと、ゆったりした大河を想像するが、この辺りでは川のあちこちに岩が露出していて、場所によっては流れが速く、川の水が三角に波立っている。水面下には複雑な形で岩が存在しているに違いない。

舟は川に立つ岩を大きく迂回して複雑な流れを遡って行く。一度岩に乗り上げれば、ローレライの歌を聞いた舟人やタイタニック号の乗客と同じ運命を辿ることになる。船べりから手を入れると結構水の温度は低い。川岸は畑であったり、密林であったり、奇岩が連なっていたり、また大木の根が白く標本のように水で洗われて美しい造形を見せていたりと、舟からの眺めは様々で決して見飽きることはない。川の浅いところでは子供たちが水遊びに興じている。橋はないから両岸を小さな渡し舟で行きかう。舟にはアヒルやニワトリ、雑貨などが喫水ぎりぎりまで詰め込まれている。

フエサイ辺りではメコンがタイとラオスの国境となっているが、このあたりは両岸ともラオス領である。フランスはタイとラオスカンボジアの国境をはっきり決めていなかったので、未だに国境紛争があり、時折、軍が衝突して死傷者が出る。もっともこれはフランスだけのせいではなく、長い歴史の中でお互い国土を取ったり取られたりの攻防を繰り返しているので、双方にここは歴史的にわが領土であると主張する根拠がある。

■バーン・サーンハイ
ラオスは酒のうまいところである。ラオスのビールはビヤラオ、タイのシンハ、チャンビールより美味だ。ラオス泡盛「ラオラーオ」は知る人ぞ知る銘酒である。日本の新聞社が焼酎の源流を訪ねて、ラオス各地を取材したこともある。バーン・サーンハイはこの泡盛造りで有名な村。舟が次々に接岸する。乾季であるので、砂地の河岸を10mほど登る。村は手織り布、バッグ、民芸品、それにラオラーオを売る露店が並んでいてまるで縁日会場のようだ。ドラム缶を利用した酒の蒸留を実演していた。ドラム缶に鍋を置き、発酵した糯米を入れる、鍋の上に水を張ったボールをかぶせる。熱せられて蒸発したアルコールがボールの底に当たって冷やされて水滴となり、パイプを伝って焼酎の壺へと導かれる。紀元前3世紀、花から香油を抽出したというアビシニアの蒸留法と原理的には全く同じである。
村から船着き場までの傾斜地は畑になっている。砂地にはまばらに大根が植えられていた。その濃緑の葉を摘み取っては口に運んだ。辛みがあって大変美味しい。

■パク・ウー洞窟
川岸が石灰岩の断崖になっており、この岩場の上部にタムプン窟、下部にタムティン窟という二つの洞窟がある。8世紀には中国からメコンを下ってきた古代ラオ族が住んでいたようだ。その後、庶民が雨乞いのため小さな仏像を寄進し始めた。16世紀以降は王室の保護を受け、最盛期には6千体以上の仏像が安置されていたという。現在でも大小4千体の仏像が安置されている。少なくなったのは持ち出して観光客に売る人がいたからである。洞窟のあちこちに仏像を持ち出さないでください、という注意書きがある。いまだに罰あたりの人がいるということだろう。

タムプン窟は奥行きが60mほどある。中は真っ暗だ。入り口で借りた懐中電灯に照らされた無数の仏像はなかなか凄味がある。下部にあるタムティン窟は水面からは10m以上あるが、数年前にメコンの水量が異常に増えてこの洞窟すれすれまで水が来たそうだ。岩にここまで水が上がってきましたという横線と年号が刻まれている。昨年の乾季は記録的な渇水メコン下流の農民、漁民は多大の被害をこうむり、フエサイからのスピードボートも運航を中止した。これは中国がメコンの上流、雲南省チベットに作った巨大ダムのせいだと言われている。しかし中国は「これは自然現象であり、ダムとは何の関係もない」とメコン流域諸国の非難を一蹴している。

渇水が本当に自然現象であれば、仏様を寄進して雨乞いのお祈りをする意味は充分ある、と思うのだが・・・・・(続く)

画像はラオス旅行にて撮影