チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ1年10カ月

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介護ロングステイ1年10カ月

■外国語ができなくても
海外で老親を介護したいが言葉ができないから、と二の足を踏む人はいるだろう。タイで介護ロングステイができるのは我々兄弟が外国語ができるからではないか、という人もいる。
でも介護ロングステイに英語が必要だったかというと決してそんなことはない。我々はこちらに来た当初、全くタイ語ができなかったし、女中さんは日本語はもちろん、英語もわからない。意思の疎通は日本から持ってきた「日泰指さし会話帳」に頼った。お互いどうしても伝えたいことがあれば、何とか伝わるものだ。意思疎通において言葉の占める割合は15%にすぎない、と何かで読んだことがある。残りは表情や身振り、手振りで表わされるという。
ウズベクにいた時、こちらはロシア語、ウズベク語が分からず、相手は英語を全く理解しないというケースによく遭遇した。ウズの田舎に一人で行き、ホテルを探して値段交渉、ホテル近くのおいしいレストランを聞く、などはみなジェスチャーでやったものだ。

もちろん、現地語ができればそれに越したことはないが、言葉ができる、できないは海外生活にとって決定的な要因ではない。自分の周辺にも全くタイ語を知らないまま、何年もタイに暮らしている人もいる。もっともこういった人の場合、タイ人の奥さんが日本語を話すといった特殊ケースかもしれないが。
また、言葉は必要となれば自然と覚えるものだ。どこの国に行っても、簡単な挨拶や数字はすぐに覚えた。それに加えて、自分にとって必須のフレーズ、「ビールを下さい」。これを覚えなければ自分は外国で生きていけなかっただろう。今でも数ヶ国語ですらすらといえる。

話が横にそれたが、介護ロングステイにあたっては、現地語を知らなくても大丈夫、要は決意だけの問題だ、ということを申し上げたい。と偉そうに言っても、母を連れてタイにやってきたのは、そんなに立派な決意、決断があったわけではない。日本では我々の望む介護を受けることが難しいと分かり、追いつめられて、タイに来ました、というのが実情だ。それで日本でできないことがタイでできるんですか、結果はどうなんですか、と問われれば、日本でできなかったことがタイではできます、結果はまだよくわかりませんが、母は今、穏やかに暮らしております、とだけは言える。

■なんでも理解している
あと3カ月の命と言われ、タイに来たが、それから1年10カ月が経った。来た当初は回復著しく室内を一人で歩いていた。一時は徘徊の心配までしていたが、さすがに今は介助なしには歩行もおぼつかなくなってきたし、日中は寝ていることが多い。夜寝ないから昼に寝てしまうのか、昼寝ているので夜は起きて騒いでいるのかよくわからない。認知症が進むと日中でも寝ていることが多くなるという。確実に病状は進んでいるのだろう。兄が日本に一時帰国し、自分が5日ほどパタヤに出掛け、女中さん二人になっていた時期があった。帰宅してみたらなんとなく夜騒ぐ声も小さくなっている。実は自分が家を空けている間に、女中の間で介護をめぐって衝突があったらしい。先任女中のブアからみれば、オイの介護は行き届かないと思っているらしく、小言を言う。時折、2時間ほどであるがバイクで両親宅に戻ることも気に入らないようだ。自分がいれば双方の話を聞いて、ふん、ふん、と相槌を打っていれば納まるのだが、女中2人だけの状況は良くなかったようだ。それが母に影響して、何か静かになったように思われた。いくら認知症であってもいろいろなことを理解している。「コウジはどこに行ったの」とはっきり言ったこともある。甥の結婚式で日本に帰っているんだよ、というと、そうなの、という。
できるだけ話し相手になっているようでもやはり兄が帰ってくると違う。「xx君が結婚して、弟のzz君も来年結婚するんだって」と兄が報告すると、「そう、それは良かったね」と答えて兄を喜ばせた。声が小さくなって心配していたが、兄が戻ると元通り大きな声が出るようになった。自分と女中だけのときは何か遠慮していたような気がする。

母は時折霧が晴れるように、普通の受け答えをしてくれるが、そういう瞬間はだんだん少なくなってきた。しかし病状が進んでも母は昔の母らしいところを残していると思う。
今月の診察日には、担当のプルーム医師に「アリガトウ」といい、帰るときには敬礼をして彼と看護師さんをいたく喜ばせた。自分にはこれほど周りの人を明るくすることはできない。

画像は前回に続きアサニー・ワサンのロックコンサートの模様