200号、そして書き足すこと2つ
■メール配信200号
チェンライに移り住んで2年、このメール配信も今回で200号となった。これまでにタイで書いた原稿の字数をパソコンに計算させたら、約360万字、400字詰め原稿用紙にして900枚ほどになった。新書版の本にすれば3冊ほどの分量だ。このような大量の駄文に長らくお付き合いくださった皆様に感謝したい。
メール配信は5年前、JICAのSVとしてウズベキスタンに赴任した時に開始した。初めて訪れる中央アジアの国で、見るもの聞くもの珍しく、いささか興奮状態であったのだろう、毎日原稿を書いて日本に送っていた。これでは皆さんにご迷惑と気付いて、1週間に2本の配信に落ち着いた。ウズベクでは2年、213号まで書いている。
ウズベクでは原稿のストックが常にあり、時には10本、1月分を超える予備を持っていた。ところが、タイではこの穏やかな気候がそうさせるのであろうか、メール配信日の1,2日前になってやっとパソコンの前に向かう、という状態だ。母を介護したり、テニスやタイ語学習に精を出したりと、まだメリハリ、緊張のある生活である。しかしそう遠くない将来、木陰のハンモックに横たわり、時折、ラオカオをすすりながらウツラウツラという生活に入るとパソコンの前に座るのも億劫になると思う。そういえば昨日がメール配信日だったなあ、と思いだせるならばまだいいほうで、メール配信をしていたことも忘れてしまう時が来るだろう。それはそれで自分にとって本当に穏やかで平和な老後の時かもしれない。
■チェンライユナイテッド、プレミア昇格
続きを書かなければ、思いながらそのままになっていることの一つに地元サッカーチーム、チェンライユナイテッド(CU)のその後がある。
まさか、タイに来てサッカーのサポーターになるとは予想もしていなかった。地元チームに日本人選手がいることを知り、市営サッカー場に足を運ぶようになったことは書いた。小川君がチームに加わった後期にCUは、10勝1敗4分の好成績を残し、念願のプレミアリーグ(日本の一部リーグ)への昇格を決めた。
昇格が決まって、小川君のファンであるニンちゃんという美女の主催で祝勝会が珈琲花園のあるレストランで開かれた。日本人が10名、タイ人が30名ほど、料理はタイ人の持ち寄り。チームメイトも何人か来て中々楽しいパーティだった。
日本のサッカーチームは会社がオーナーとなっているのが普通だが、こちらでは個人がオーナーである。チームのプレミアリーグ昇格祝勝会が旧飛行場で大々的に開かれた。模擬店というか食べ物を提供する屋台が100店ほど出ている。ステージには楽団、広場は1000人を超す人々がテーブルで飲み食いし、空には景気づけのコムロイが無数に飛んでいる。模擬店の食べ物は無料、ビールは大ジョッキが10B(27円)、要するに飲食の費用はチェンライユナイテッドのオーナーが個人負担したのだ。プレミアリーグ昇格に貢献した日本人選手小川君は人気者であちこちのグループからオガワ、オガワの声がかかり、記念写真を頼まれていた。同じ日本人として鼻が高い。今年もサッカー応援に力が入りそうだ。
■事前取材
兄は自分が「介護ロングステイ」を書いていることを快く思っていない。タイに来た当初、どうして写真を出すのか、そんなこと書かないでいいじゃないかとよく怒られたものだ。母の気持ちを慮ってのことだと思う。
自分としては介護で苦労されている人たちに、思い詰める必要はない、こんな介護の仕方もあるんだ、と思っていただければいいか、といった軽い気持ちで書いている。介護ロングステイをお勧めしているわけではないし、ましてや日本の介護には問題があるなどと指弾する気持ちはさらさらない。
NHKに「あすの日本プロジェクト」というチームがあり、「無縁社会」、「日本の再設計」といった番組を放送してきた。今年は日本社会が抱える問題の解決の糸口を示唆する番組作りをするという。
暮にNHKの記者が事前取材に来られた。「日本の医療制度の問題を指摘できる、また日本を脱出して新たな道を切り開いた」と介護ロングステイを評価して下さっていたが、自分はそうは思っていないこと、後ろ姿であっても母の映像はとらないでほしい、等々を説明すると頭を抱えていた。その後、特に連絡がないところを見ると諦めてくれたのだと思う。NHKに出ることは国民の義務でもないし、訪問者数1日数十人のブログとNHKの放送ではインパクトが違う。テレビ出演がなくなって実はホッとしている。記者の方は若くて頭脳明晰、性格もいい人だった。昼食ばかりでなく夕食も共にして楽しい時を過ごしたことを付け加えておきたい。
写真一番上は小川君とニンちゃん。
その他の写真はプレミアリーグ昇格、市民感謝祝勝会の様子。