チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

とかく団塊世代は・・・

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とかく団塊世代は・・・

ソフトボールの練習開始
3か月前に、関係者の尽力でチェンライにソフトボールチームができた。初めての顔合わせ、市内の旧飛行場に集まった12,3人のメンバーを見て、正直がっくりとした。50代が2,3人、後は60過ぎ、70代もちらほらと見える。まるで敗戦間際にかき集められた南軍兵士のようだ。練習初日は、雨が降っていたので、自分は当然中止になると思って、サンダル履きだった。しかし、みな運動靴でやる気十分。元体育教師のYさんが、高校のソフトボール部払下げのグラブやボールを用意していた。

元野球少年たちは嬉々として、コチコチに硬くなったグラブをはめ、さー、ノックだ、ノックだと広場に散る。気持ちは瀬戸内少年野球団であるが、体がついていかない。打てない、捕れない、走れないの3重苦の人ばかり。小雨が降りしきる中、1時間半ほど交代でシートノック、打球が外野に飛ぶと、オー、すごいと声がかかり、フライをキャッチすれば拍手と歓声だ。日本でこんな集団を見たら、コリャなんだ、いい年して、と笑われるかもしれない。しかし、ここチェンライでは一人ひとりが貴重な戦力、エラーをして怒鳴られることもなく、球場10周して来い、などと言われることもない。その意味ではノビノビ野球と言ってもいいだろう。
自分もサンダル履きで練習に参加したが、そんな恰好で、と非難されることは全くなかった。テニスは毎日のようにしているが、テニスとは違った筋肉を使う。体にもよさそうだし、みんなと一緒だからそれなりに楽しい。

チェンマイにはすでにソフトボールチームがあり、毎週木曜と1,3日曜、月に6回練習しているという。我がチェンライチームの練習日は2,4日曜日の月2回だけ、それも主力メンバー4名がパタヤに遊びに行ってしまうからという理由で練習中止になったりする。そのうちチェンマイのチームと対抗戦をやります、と監督は意気込んでいるが、恥ずかしくない試合をするにはまだ時間がかかりそうだ。

■参加者もいろいろ
参加するのは熟年層ばかりではない。練習にはタイ人や日本の若者も来る。Yさんの息子さん(高校生、タイ人)はノックのとき、一塁を守れと言われたが、内野手が、捕った球を自分に向って投げてくる、危険だからいやだ、という。先日、センターを守らせたら、用意してきた小さな座椅子に座ってボールが飛んでくるのを待っていた。星一徹みたいなオジサンに、なんだー、お前はーなどと言われていたがマイペンライだ。

ラジャバット大学に留学中という日本青年が2名ほど来たことがある。おお、これは即戦力、と期待したのだが、打っても外野に打球が飛んでこないし、守ってもフライを落とす。子供のころ野球で遊んだ経験がないらしい。但し、肩は強く、足が速い。これは敵わない。オジサンたちは全力疾走のつもりでも人から見れば速歩かと思われるほどの速さだし、三塁から一塁へノーバウンドで投げられる人は少ない。
難しい打球に追い付き、華麗に捕球する人はいる。しかし、運動不足のせいか捕球した後、ヨロヨロと2,3歩よろけてしまう。投球動作に入ったころには速歩のランナーが一塁に到達している。

仲間のうち3-4人は守備、打撃もシャープで、だれが見ても一軍だと納得する。しかし、後は混とんとしている。自分は左投げ、左打ち、初めのころはいい当たりを飛ばし、フライをランニングキャッチ、とアピールできたので、チェンライのイチロー、一軍間違いなしと言われていた。しかし最近では少年時代の野球勘を取り戻した仲間が多くなってきて、どうも9人の枠に入れるどころか、戦力外通告の心配もある。

■転倒して肩を痛める
遊びと分かっていても、やるとなるとつい真剣になってしまうのが団塊世代の欠点だ。二塁方向へ強い当たりのゴロを打った。素人ソフトボールでは二塁、ライトはあまり守備に自信がない人がやる。凡打でもエラーになって生きる可能性は80%くらい。そこで速歩より少し早いスピードで全力疾走、ところが塁上にいた一塁手と激突して双方、転倒してしまった。自分は一回転して肩を強打した。

遊びなのに、なんでそんなに一生懸命走るのよ、怪我したらつまらないじゃないという周囲の声はあったが、もう遅い。なんとか肩を回すことができるから骨は折れていないようだ。しかし動かすと激痛が走る。もうテニスは出来そうもない。あー、これで自分の老後の楽しみがなくなってしまうのか、すっかり落ち込んでしまった。

写真はソフトチーム練習に参加した山岳の子供との記念撮影。