チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

誰のための安全保障?

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誰のための安全保障?

ウズベクにいたときは、緊張していたし、見るもの聞くもの珍しく、ブログ原稿の種に困るようなことはなかった。多いときには10本くらい原稿のストックを持っていた。メール配信をチェンライで再開したが、このチェンライの温暖な気候がそうさせるのであろうか、原稿の書き溜めができない。ひどいときは「あー、明日はブログの更新日だ」とあわててパソコンに向かうというずぼらな生活になってしまった。

介護ロングステイの毎日ではあるが、時には片雲の風に誘われて漂泊の思いやみがたく、という気持ちになる。しかし先立つものは原稿のストックだ。旅先では原稿を書いても送るすべがない。ある日、どうしてもカンボジアアンコールワットへ行きたくなった。よし、と発奮して「チェンライ・エキスパット・クラブ」から「エバキュエーションフライトの思い出1-3」の4本を一気に書き上げたのが6月の8日、翌9日にはチェンライ新バスターミナルからバンコク行きの夜行バスに乗り込んでいた。

チェンラ-バンコク-アランヤプラテート(タイ・カンボジア国境)-シェムリアップ(アンコールワット)-プノンペン-コーコン(カンボジア・タイ国境)-トラート-チャン島-バンコク-チェンライ、実質9日間の旅だった。移動はすべてバス、3千キロ以上走ったと思う。ヘトヘト疲労困憊バス旅行のことはいつか稿を改めて書いてみたい。ただひとつ、書くとすれば、「アンコールワットは素晴らしい」の一言だ。これを世界遺産といわずして何処を世界遺産というのか。アンコールワット世界遺産横綱大関級とすれば、アユタヤ、スコタイなどは十両クラス、ウズベクサマルカンドでさえ前頭筆頭といったところだ。(画像)

さて、旅行中にアップしたレポートにいくつかお便りを頂いた。IJPCで一緒だったAさんからのお便りを紹介する。彼は1985年イラン・イラク戦争のさなか、隣国クウェートの駐在員だった。イラク、イラン双方が非軍事施設爆撃を行い、市民、外国人の被害者が続出していた時期である。イラクの空港が閉鎖されたため、クウェート経由で海外に逃れようと多くの人がイラククウェート国境に押し寄せた。邦人だけで2000名を超えたという。クウェート政府は非常事態ということで入国ビザ発給は各国の責任においてやってもらいたいという態度だった。

英、米をはじめとする各国は、大使が率先して国境に出向き、入国する自国民の世話に当たった。わが日本はどうであったか。クウェート日本大使館は「民間のことだから」、とビザ発給作業に全くタッチせず、数日たってからやっと若手職員を一人送ってきただけだった。その間Aさん始め、いくらかでもアラビア語が出来るクウェート駐在員(主に商社)たちが国境で邦人の入国、受け入れにてんてこ舞いの有様だった。お世話した邦人の数は4千人に上る。この間、日本航空クウェート便を増便するどころか危険を理由(労働組合が反対する)に寄航中止も言い出す始末。イラクから逃げ込んできた邦人達はインド航空などをチャーターして国外に脱出した。

2004年12月、スマトラ沖を震源とする大地震が発生し、大規模な津波がタイのプーケットを襲ったことは記憶に新しい。テニス仲間のSさんは丁度そのとき、プーケットに滞在していた。幸い被害にあわず、2日後、バンコクドンムアン空港に戻った。空港でSさんが見たものは、すらりと並んだ各国の大使館のデスクだった。自国民の安否確認、情報伝達のために臨時に設けられたものである。Sさんは何度も探したが、日本大使館のデスクはなかった。

2007年10月に(財)中近東文化センター主催で「イランからの脱出、日本人を救出したトルコ航空」というシンポジウムが開かれた。当時の駐イラン日本大使、トルコ機派遣を首相に働きかけた伊藤忠イスタンブール支店長、トルコ機の機長などがパネリストとして参加した。駐イラン日本大使は非常時に当たって日航機のテヘラン派遣を本国に要請した。返答は(戦争中の)イラン、イラク両政府に日航機の安全保障の確約を取れ、ということだった。取れるはずがない。後にトルコ航空のオラル総裁は、なぜあのとき日本人のためにトルコ機を飛ばしてくれたのですか、という質問に対して、「(取り残された日本人の)安全が保障されなかったからだ」と答えている。同じ安全保障でも日本は日航乗務員の、トルコは危機に陥った日本人の安全保障を考えたわけだ。

「国民の生命、財産、安全をお守りします」がモットーの政党に政権が移った。現政府、外務省は在外の邦人を「国民」の範疇に入れてくれるのであろうか。