夢の家訪問(その3)
夢の家は118号線からワーウィーに抜ける国道沿いにある。土地の広さは2ライ(約1000坪)。男子寮、女子寮はスレート葺、NPOの援助で建てられた。炊飯室兼食堂は茅葺、土間、壁やテーブルは竹製の質素なものだ。夢の家は小、中学校に程遠くない所にある。寮を建てる場所を探していたアリヤさんにあるタイ人が格安での土地貸与を申し出てくれた。しかし、建物ができて2月もしないうちに、買い手が見つかったから出て行け、さもなければ同じ値段で買え、と迫られた。アリヤさんはお金を工面し、なんとか土地を購入した。
その後、アリヤさんは日本大使館の草の根無償の援助を受けようと、10センチにもなろうかという応募書類を書いた。バンコクからも偉い人が視察に来てくれた。しかし結果は「残念ながら…」だった。何故ならば夢の家は国有地を不法に占拠して建てられているからだという。日本政府としては不法な土地所有に係る事業について国民の税金を支出することはできないとのこと。タイでは国有地が適当に売買されるらしい。
夢の家には他に男子寮に使われていたゲストハウスがある。屋根には穴があき、床の竹板もずれている。とてもゲストが泊まるところではない。それでもA先生は星空が覗けるこの建物に泊まっておられた。
二日目、寮生とのミーティングが男子寮の縁側で開かれた(写真)。集会室が無いのだから仕方がない。A先生から、よく勉強して、アカ族の伝統を守り、両親を大切にし、そして将来、できればアリヤさんの夢の家を手伝って欲しい、といった話をされた。
この寮では昨年まで、飲料水を遠くの川から引いた自然水に頼っていた。雨季には水が濁り、いくら漉してもコップの底が見えない。また有機物が多いせいか2,3日すると変な臭いがしてきたと言う。それを見た日本人が、飲料水を寄付しましょう、と申し出てくれた。タイでは水道の水でさえ飲まず、ポリタンク、ポリ瓶入りの水を買って飲むのが普通だ。こうして寮の子供も安心して水を飲むことができるようになった。
A先生は水を寄付してくれた人に報告するため、以前と比べてどうだったか、と一人一人に聞く。前は濁った水でイヤだったが、今は安心して飲める、おなかを壊さなくなった、などと言う子供が多い中に、以前と健康状態は変わりません、という正直な子もいた。その中で年長の女の子の言ったことが印象に残った。「川の上流では農作物のために農薬を使っています。農薬のせいで川の水を飲み続けている人の中には健康を損なっている人がいます。私達は農薬の心配のない水が飲めて嬉しいです」。
タイの農作物にばらまかれる農薬は半端な量ではない。通常、農薬には出荷2週間前には使用しないように、とか注意書きが付いているのだが、こちらでは出荷前日でも真っ白になるくらい農薬をかける。キャベツ畑に迷い込んでキャベツを食べた象が農薬中毒で死んだ、余った野菜を豚に食べさせたら豚が死んだ、といった新聞記事を時々見かける。家でも女中さんが白菜やキャベツを一枚ずつ丁寧に水洗いしているが、それがタイの野菜を食べるときの常識である。山岳民族の人が売る野菜は比較的安全といわれるが、それは山岳の人が貧しくて、農薬を買うお金が無いからだ、と聞いたことがある。
子供達は食事が終ると、食器を各自、食堂横の水場で洗う。しゃがんで洗うのは大変と、これも日本から来た人が、日本でいう流し(シンク)を2つ寄贈してくれた。これで立ったまま食器や鍋が洗えるようになったのだが、流しには水を張って、洗った食器を最後に濯ぐだけにしか使っていなかった。洗うのはやはりしゃがんでやらないと落ち着かないのだろうか。自分の行くアカ族の村でも洗い物は何処の家でも蛇口にホースをたらしてしゃがんで行なうのが普通だった。習慣はなかなか変えられないようだ。
タイでは多くのNPOが少数山岳民族の教育支援を行なっている。支援関係者が頭を痛めていることはどうやって経済基盤を確かなものにするかだ。夢の家は自分の見てきた同様の施設に比べれば、かなり貧弱であることは間違いない。竹の板を地べたに並べて、ピンポンをしている寮生を見て、僕がチェンライで飲み歩く金額を思えば、とある邦人が卓球台を寄付してくれた。
このように夢の家は個人の善意に頼ることがある。それも決して悪く無いが、やはり20名もの子供を預かる施設を運営していくためには、恒常的な資金手当て、すなわちファンド・ファインディングから始まるマネージメント能力が必要とされる。サラリーマンを定年までやった日本人ならその能力は充分あると思うが如何だろうか。