チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

夢の家訪問 2

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夢の家訪問(その2)

アリヤさんはほとんど独学で日本語を勉強した。秋篠宮さまが北タイをご訪問された折、宮様の通訳を務めたことがあるという。話していてもその日本語にそれほど違和感が無い。しかし、ガイドという仕事は、常にお客がいるわけではない。彼の収入の大部分、それに奥さんが山岳民族の刺繍地を使って服や財布を作り、それを販売して夢の家につぎ込んでいた。もちろん、これで足りるわけではなく、オーストラリアの財団援助がらを受けていた。しかしその財団から援助打ち切りを通告される。3年前のことだ。子供達をそれぞれの村に帰すしかないのか、子供達が村に戻れば、その結果は言うまでも無いだろう。アリヤさん(写真上)は子供寮の閉鎖も仕方ないかと悩んでいた。
 
一方、A先生は、現在は医師に戻っておられるが、2年前まで大学で老人福祉学を講じておられた。10年位前から学生達を伴ってタイに度々来られ、バンコク近郊クロントンにあるプラテープ財団、チェンマイの希望の家などを訪問された。

プラテープ財団は、スラムに住む一少女プラテープが起こした。彼女は1日2バーツで花火工場で働いていた。作業中、隣の子供が「字が読めていいわね」と漏らした言葉に触発されて、貧困から抜け出す武器として教育に目覚める。働きながら、師範学校に学び、スラムの子を対象に16歳の時に寺子屋(1日1バーツ)を開く。その後、彼女の活動は広がりを見せ、78年にはアジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞を受賞する。スラムの天使といわれたプラテープさんも今は50代半ば、タイの上院議員でもある。曹洞宗ボランティア会の秦氏と結婚して2男がある。
プラテープ財団はタイで最も成功したNGOといわれる。91年の阪神大震災に当たってはクロントイのスラムで募金活動を行い、日本円で520万円もの援助金を寄せてくれた。

「希望の家」は日本人による少数山岳民族支援の草分けと言っていいだろう。大森絹子という医療人類学者が1997年にチェンマイに作ったエイズ孤児施設だ。彼女は2001年に肺がんで亡くなるのだが、その遺志が引き継がれ、多くの山岳民族の子供を看取り、また教育の機会を与えている。

A先生(写真下左側)はプラテープ財団や希望の家などいくつかの施設を訪問するうち、「私どもの施設よりずっと苦しい所があります」と北タイにある施設を紹介された。いくつかの施設や村への訪問・交流を経て、アリヤさんのやっている夢の家」を初めて訪問したのが2008年の夏だった。二人の出会いにより、夢の家の存続が可能となる。A先生は本格的に夢の家を支援するため、「ファーサイ タイ・日本」というNPOを自らが理事長となって立ち上げる。2009年2月のことだ。ファーサイはタイ語で青い空を意味する。

今回の夢の家訪問には4名の婦人が参加されていた。内、2名は高校へ進学する子供の「教育里親」として年間3万円を寄付している。その里子に会いに来たわけだ。

夢の家に着くと一行はすぐに料理の支度(写真中央・竹製のテーブル)。到着が遅れたので予定していたライスカレーは次の日にして、20人分のインスタントラーメンを作った。子供達には大変喜んでもらえたようだ。寮に泊まるというA先生と若い女性1名を残して、3名のおば様方を車に乗せて、35キロ離れたゲストハウスへと向かった。舗装はされているが真っ暗闇の山道である。丁度、乾季で山焼きをやっている。焼畑を作るために山の潅木や笹、ススキなどを焼いているのだ。遠くの山が赤いシルエットとなって浮かんでいる。この時期、煙害でチェンライ市内でも何となく空気がいがらっぽく、灰が舞い落ちる。草の燃えカスのような黒い灰が沢山降ってきてテニスコートが黒っぽくなっている。テニスボールがすぐ汚れてしまうので、試合でもニューボールを出すのを躊躇するくらいだ。

山焼きは大気を汚すし、洪水、山崩れの原因ともなる。表向き禁止されているのだが、耕地も少なく、肥料も買えない山岳民族にとって焼畑を止めることは出来ないのだろう。

遠くに山焼きを見ているうちはよかったが、走っているうちに道路際までオレンジ色の炎が迫っている所があった。ぱちぱちと木のはぜる音が聞こえ、締め切った窓からも輻射熱が襲い掛かり、車内が熱くなった。これでガソリンに引火したら、アクション映画のように車は火を噴き、木っ端微塵に吹っ飛んでしまう。映画であれば主人公が間一髪、美女を抱きかかえて燃える車から飛び降り、危うく難を逃れる所である。しかしこちらは映画の主人公ではないし、同乗しているのが60代の女性で、それも3人もいる。抱きかかえるのはちと無理だ。

心の中をおば様方に悟られないよう、アクセルを吹かして素早く、山火事現場を通り過ぎた。