チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

お宝

イメージ 1

イメージ 2

お宝

日本では余りテレビを見るほうではなかったが、テレビ東京の「開運、なんでも鑑定団」は好きで良く見た。何の変哲もない壺が数百万円もしたり、親が困った時に売りなさいと遺してくれた有名画家の絵がニセモノだったりと、悲喜こもごものストーリーが展開される。

世の中には好事家と言うのだろうか、骨董や絵画、生活民具、ポスター、ブリキのおもちゃまでとにかく収集するのが楽しいという人がいる。好きで集めて自分で喜んでいる分にはかまわないと思うが、これは高いものです、と骨董屋に言われ、投資目的で買った骨董にビックリするような価格が付くことは余りない。借金のカタに貰った中国の掛け軸とくれば、司会者の島田紳助が何か言う前に、「これはニセモノだろう」などとつぶやいてしまう。

お宝とはその価値を理解する人に「私を買って下さい」と訴えるという。
チェンライで友人となったOさん、彼のエレキギターの腕前は素人離れしている。彼がチェンライの夜市を歩いていたら、フェンダーUSAのギターが目に留まった。価格はわずか6千バーツ(約1万6千円)、古いものであるがフレッドがしっかりしていて音のひずみはなさそうだ。値切るのも忘れて言い値で買った。実は彼はフェンダーのギターを一つ日本から持ってきていた。しかし家に帰ってアンプに繋いで見るとまさに音色は雲泥の差、しゃきっとして、高音部が鈴のように鳴るフェンダーサウンドが迸った。まるで自分がジム・ヘンドリックスになったような錯覚に捉われた。お宝鑑定団に出せば30万円は下らない逸品だ。このエレキギターがどういう運命を辿って、北タイの片田舎の夜店に転がっていたのかは分からない。しかし価値が分かる人に手に入れてもらって、そして使ってもらってフェンダーも幸せだ。ある一夜、Oさんの掻き鳴らすエレキギターを聞きながらそう思った。

JICAのシニアボランティアとして、北タイで手芸を教えるSさんにも、「私を買って下さい」と訴えてくるものがタイにある。それは少数山岳民族やタイヤイ族の老婆が紡ぎ、手機で織った布だ。手芸材料としていろいろな布地を見てきた彼女には、あ、これは本物、このデザインは世界にもないと分かるのだそうだ。手織りの布はもうタイでも廃れてきている。若いタイ人はそんなに苦労して織るより、工場で作られた布や出来合いの服のほうを喜ぶ。Sさんは自分が好き、こういう風に飾ったら素敵、といった感性で民俗模様の布を購入しているが、そのコレクションはきっと北タイ美術の一端を示す資料となるだろう。

さて、タイのお宝と言ったら何だろうか。やはりタイを代表するスコタイの古陶、宗胡録(スンコロク)だろうか。わが国には桃山時代から江戸時代初期に渡来した。秀吉が天下統一を成し遂げたため、臣下に与える領地が無くなってしまった。そこで、この壺は10万石の領地と同等の価値があるぞよ、と言って渡すために宗胡録の壺を使った、と言う話を聞いたことがある。ところで宗胡録と並んで最近注目されているタイの古陶がある。

北タイでは13世紀から16世紀にかけてランナー王国という国が栄華を誇っていた。そのランナー王国にも宋胡録とは違った個性的陶器が作られていた。ガーロン焼きと言う。これらの窯跡はチェンマイ、パーン、パヤオなど北タイ各地に存在する。これらの窯の活動時期は14世紀から16世紀と推測されている。鉄絵による黒い鳥の模様、幾何学模様、あるいは無地の緑柚の皿など趣のある陶器だ。しかし、近世になって窯も技術も陶器作りの伝統一切合財が消えてしまう。窯跡からは陶片が出るばかりで、完全な形の皿はなかなか出土しない。

乾季で川の水が少なくなった時、川床から無傷の皿が発見されることがある。こういった良品はバンコクや日本のコレクターに高値で引き取られていく。幻のガーロン焼きとして値段もそれなりとなっている。そのうち、なんでも鑑定団にガーロン焼きが登場するかもしれない。すでにガーロン焼きのニセモノも出回っている。これで一つ儲けてやろうといった人達がニセモノをつかまされるのだろう。やはり、お宝は金儲けの手段ではなく、自分が好きだから手許に置くということが、真っ当であろうと、余りお宝に縁のない自分は思っている。