お金があって、奥さんの一族全員の面倒を見るつもりがあれば、タイ女性と結婚してもいいでしょう、などと書いてある本がある。
朝、起きてみたら、見知らぬ人が別室で寝ている。変な人が家に入り込んで、勝手に冷蔵庫を開けて中のものを取り出して食べている。あれ、誰?と聞くと、連れ合いが平然と、あれは親戚、と答える。それにしても親戚の数はやたらに多い。いつも家族以外の誰かが台所でゴハンを食べている。寝泊りやゴハンだけならいい。そうこうするうちに一族の難題、主としてお金の貸借の問題が持ち込まれる。こういった経験はタイ人と結婚した人にとって日常茶飯事といっていいだろう。タイに限らず、アジアの国々では一族の中で羽振りのいい人には一族全員の面倒を見ることが期待されている。日本人はお金持ちと思われているので、必然的にみんなの面倒を見る羽目に陥る。
北タイで暮らす邦人で、ブログを書いている人は沢山いる。それなりに面白く、読むのに夢中になって自分のブログを書くのを忘れてしまうことも再々だ。以下は、チェンライ郊外メチャンに20年近く住んでいるSさんのブログからの引用である。タイ人の人間関係の濃密さをご理解頂けるだろう。
(引用開始) 今までにも、いつの間にか、他人(?)の子供を育てているということが、何回かあった。 娘のケイも「養子縁組」の手続きをしてあるとはいえ、もとはといえば他人の子供である。妹の「キック」も義弟の前妻ラーの産んだ子だが、両親が離婚し、結局我が家で面倒見ることになってしまった。
姪夫婦の一人娘「プッキー」も半分以上は、かみさんが育てているようなもので、小学校の低学年の頃から、寝床は、かみさんたちと一緒である。その頃から、「ケイ」、「キック」、「プッキー」の3人に、小生は追い出されて、「ひとり寝」が続いている。
ふり返ってみると、義父の弟・ナーンの娘「オーン」も「ポーン」も、母親が病死したあと、我が家で1~2年預ったことがあった。ともに小学生だった。もう20年近く昔のことである。 また、次姉・ブオパンの次男・「チャッキー」も、次姉の再婚相手との折り合いが悪く、2年近く我が家で寝起きしていた。
義父の末娘・「ノンカーン(ケイより1才年上、母親は、アカ族)」は、まだ3歳くらいのころに母親に捨てられて、15年近く、我々夫婦が娘のように面倒見てきた。
(後略、引用終わり)
ここまでで分かることは、Sさんは奥さんの親戚の子7名を預かって育てている、あるいは育てていた、ということだ。Sさんが世話するのは親戚の子だけではない。乳飲み子、保育園児、小学生など、Sさんは近所の子供を5人ほど引き取ってゴハンを食べさせている。実の親がいるのだが、子供の世話をしない、貧しくて充分に食べていないようだ、という子がいると、可哀想だ、といって誰かが家に連れてくるのだそうだ。ウチは保育園ではないのだがなあ、というボヤキとともに、なぜ子供を預かるようになったかという経緯が延々とブログに書いてある。
北タイでは孤児など可哀想な子がいたら、地域の人で資力のある人がその子を引き取って面倒を見てやるといったことは珍しいことではない。Sさんはそれを「地域社会の構成員、みんながひとつの家族の構成員みたいなものなのかもしれない。『大家族』というのではなく、『汎家族』とでも言った方がいいかもしれない」と言っている。「親はなくとも子は育つ」というがタイの田舎では「親がなくても子は誰かが育ててくれる」だ。
日本はお隣同士でも挨拶を交わさない、親戚づきあいも希薄で人間性がない、冷たいなどと言う人がいる。確かにタイは微笑みの国であり、親戚付き合い、地域の人達との付き合いも濃厚で、人情に厚い。でもSさんのように、タイの地域社会、血縁関係にどっぷりと浸かった人には、それなりの苦労がある。子供の世話ばかりでなく、その親達の金銭的問題に巻き込まれていることは想像に難くない。一族全員どころか、たった一人の母親の面倒を見るだけで精一杯の自分には、とてもSさんの真似はできない。
タイ人配偶者一族、また地域社会との濃密な人間関係をぼやきながらも、うまく折り合いをつけて暮している多くの長期滞在者に、心からエールを送りたいと思う。
写真は稲刈りの風景です。11月から12月がこちらでは刈入れ時期です。