チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

北タイの仏教遺跡巡り(3)

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北タイの仏教遺跡巡り(3)


■宋胡禄(すんころく)発祥の地
シーサッチャナライはスコタイ県に10ある郡の一つである。Gマップに騙され、行きつ戻りつして歴史公園に到着したのは3時過ぎだった。Gマップの名誉のために言っておくと、目的地にシーサッチャナライといれただけで、「歴史公園」とはっきりと指定しなかった。恐らくGマップは公園ではなく、郡内の適当なところに案内しようとしたのだろう。初心者はともすれば、自分の未熟さを棚に上げて、不都合なことが起こるとつい相手のせいにしたがる。気を付けなければいけない。

スコタイ王朝は4つの直轄領を持っていたが、その中でシーサッチャナライはスコタイに次いで2番目に大きな都市として発展し、副王が治めていた。シーサッチャナライとは「吉祥なる銀の出るところ」を意味する。
タイ文字を発明し、領土を拡大し、タイの三大国王の一人に数えられるスコタイ朝第3代ラムカーヘン大王は中国の元に3度にわたって使節を送っている。1300年に派遣された使節団は元より多数の陶工を連れ帰ったが、彼らが従来のクメールの焼き物を改良して宋胡禄焼きの制作を始めた。これらの宋胡禄焼きはインドネシア、フィリピンなど東南アジアに輸出され、日本では戦国時代や江戸時代に寸胡禄として輸入され茶人に愛された。
当時、シーサッチャナライはサワンカロク(タイ語で天国の世界)と呼ばれており、この地名がシャムで作られる焼き物全体を指すようになった。

■広い公園
スコタイの世界遺産の正式名称は「スコタイの歴史上の町と関連の歴史上の町」でシーサッチャナライはその一部を形成する。一部とはいっても270もの遺跡があり、それが歴史公園とその周辺に点在している。
シーサッチャナライ歴史公園には2回来ている。前回は確か3年前、車を乗り入れて遺跡を回った記憶がある。今回は遺跡群をスクータで回り、これまで見ていない宋胡禄焼きの窯跡も見物しようと思っていた。ところが、今回行ってみるとしっかり入場口が設けられており、バイクや車の乗り入れは禁止となっていた。歩くか自転車を借りるんだね、と切符売場のおばさんが言う。入場料は100B、タイ人は20B、タイの公共施設では外人価格があるのが普通、以前はタイの運転免許を見せるとタイ人価格にしてくれたが、軍政になってからこの特典が効かなくなったように思う。タイ人の奥さんに切符を買わせれば、2人ともタイ人価格になりますよ、と友人は言うが、入場料のためにタイ女性と一緒になるのもばかげている。

とりあえず徒歩で公園内に。観覧車が2台あったが、客が少ないせいか運転手がいない。ワット・チャーン・ロームなど有名な遺跡をたどり始めたが、この公園の総面積は45平方キロ以上ある。午後も遅い時間、道がわからなくなって日が暮れてきたら大変だ。それでなくてもこの日来る途中、スクータで迷子になっている。
乾季とはいえ、気温は30度を超えているだろう。暑い。その上水を持ってくるのを忘れた。そういえばスコタイの歴史公園で邦人が殺害されたことがあったが、犯人は捕まったのか。人の気配がしない遺跡は不気味だ。大体、徒歩で回り始めたのが間違い、チャリか車でなければ回りきるのは不可能だ。こういう日もある、という気持ちで公園散策を早めに切り上げた。

■ホテルの安さにびっくり
シーサッチャナーライ歴史公園からスコタイまでは約50キロ。スコタイは数度訪れており、なじみのGHもある。101号線を南下してスコタイで泊まろうと思ったが、時間が遅くなってきたのでスコタイの手前にあるサワンカロクで宿を探すことにした。街を一周したもののホテルが中々見つからない。数人のおばさんが雑談しながらこっちを見ていたのでUターンして、この近くにホテルかGHはありませんか。一斉に「ミー(あります)」。
100mほど先、左手にセンシンというホテルがあった。客室数は100 くらいか。エアコン付と扇風機だけの部屋があります。前日、ラムパンで泊まった500Bホテルでは結局エアコンは使わなかった。エアコンなしの部屋でいいです。それでは220B。エアコン付だと320Bと言っていたがそれでも安い。温水シャワー、トイレ付、セミダブルベッド。タイでは観光地から外れた街に泊まるとホテル代は安くなる傾向があるが、ここは最安の部類。

友人と一緒なら街中へ繰り出すのだが、一人で飲んでスクータで帰る自信はない。それでホテル内のレストランへ。タイ人グループや家族連れがワインで盛り上がっている。ビール2本とやや豪華な食事で日本円で千円足らず。禍福は糾える縄の如しか。(続く)


写真は宋胡禄、遺跡公園看板、遺跡の一部