チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

北タイの仏教遺跡巡り(2)

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北タイの仏教遺跡巡り(2)

パヤオからラムパーンへ
パヤオ県はチェンライ県から分離してパヤオ県になった。今でもタイでは大きな県が2つに分かれることがある。タイは73県と記憶していたが、現在は77都県と増えている。タイの小学生は地理の勉強で苦労しているのではないか。
チェンライには13世紀にランナー王国が興ったが、それより1世紀早くパヤオにはパヤオ王国が栄えていた。分裂の理由はこんなところにあるのかもしれない。

何分にもタイで文字が出現するのは13世紀末であるし、チェンマイ年代記などの歴史書が書かれたのは更にあと、中国の正史にも古代タイに関する記録は殆どない。「史記 大苑列伝」に「昆明の西千余里に乗象国あり、滇越という」とあり、これがタイだと言われているが定かではない。先史時代から北タイでは中小都市国家と民族の興亡が繰り返されていたに違いないが、何もわかっていない。

1号線を南下するとパヤオからラムパーン県に入る。左右に蛇行しながらの登り道になる。この峠はクンターン峠と言い、昔、パヤオ王国とラムプーンのハリプンチャイ王国の国境となっていた。カリビアンで通った時は馬力不足のため追い越しはほぼ絶望状態であったが、さすがフォルツァ、登りカーブをすいすい加速していく。前を走る大型トラックなど一瞬で追い抜いてしまう。小市民と言われようとひそかに感じるこの優越感は何とも言えない。大型スクータを購入してよかった。

■ラムパーン
ラムパーンはチェンライから226キロ、3時間ちょっとの距離であるが、パヤオで友人宅に寄ったり、途中で昼食休憩を長めにとったため、到着したのが3時近かった。ラムパーンには何度か来たことがある。まずは常宿のKホテルへ。昨年より50B値上げになっていて一泊500B。500Bクラスのホテルでは通常シャワーとなるが、Kホテルは曲がりなりにもバス付で、ゆったりとお湯に浸かれる。

ラムパーンは7世紀からハリプンチャイ王国の都市が置かれていた。モン族の国だったが、11世紀にはクメールに攻められ、アンコール王朝の傘下に入る。13世紀にはランナー王国のメンライ王の時代にタイ人の支配下に入る。その後、18世紀中頃までビルマの占領下に置かれた。
いろいろな民族の行き交ったラムパーンにはハリプンチャイ様式、ランナー様式、ビルマ様式の様々なお寺がある。また街や古寺を廻る花馬車でも有名。数十年前に陶磁器の優れた原料であるカオリンが発見されたことから陶器の街としても知られる。

文化的、歴史的に興味の尽きない街ではあるが、今回はスコタイ世界遺産を見に行くための素泊まり通過点となった。いずれ、ラムパーンについて詳しくご紹介したい。

■初めてのGマップ
ラムパーンからシーサッチャナライまでは131キロ、2時間20分で着く。実はこの距離、時間はグーグルマップから。最近、Gマップの使い方を覚えた。タイ国内では無料WiFi が使用できるところが多いが、山の中ではちと無理。ところが、ICレコーダほどの大きさのポケットWiFiを1500Bで購入し、月々300B払えばいつでもどこでもネットがつながる。タブレットに出発地と到着地を入れておけば、女性の声で道案内をしてくれる。ナビ購入の必要がない。
ラムパーンの街中はごちゃごちゃしているのだが、イヤホンからの「300m先、右です」、「この先左です」の指示に従ってスクータを走らせると、ちゃんとシーサッチャナライへ向かう幹線道路11号線に出た。「しばらく道なりです」。初めてのGマップ使用であったからこれはスグレものだと感動した。

■目的地の手前で迷子になる
昼前には目的地であるシーサッチャナライの歴史公園に着けるものと思って、11号線を順調に飛ばした。道路際には時折、目的地と距離の標識がある。シーサッチャナライまで20キロほどになった時、ずっと「道なりです」と言っていってきたGマップが、「この先300m、右です」と言い出した。変だなあと思ったのだが、まさかGマップが間違うはずがないと思って、ちょっとしょぼい小道を右に入った。「道なりです」、「この先300m、左です」の案内に従って走るうちに道は未舗装の農道に出た。凸凹で雨季だったらまず走行不可能。そのうち少し広い舗装道路に出たが、方向が全く分からない。標識もない。「400m、右側です」。右に曲がってみると細い道が山のほうに向かっている。一応、簡易舗装されているが落ち葉が降り積もっていて長らく車が通った形跡がない。

信じた私がばかだった。試行錯誤の末、幹線道路に戻って、シーサッチャナライ歴史公園に着いたのはもう3時を回るころだった。(続く)



写真はラムパーンの城壁、ビルマ様式のワット、下3枚はランナー様式のワットプラタートラムパンルアンと花馬車