チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

北タイの仏教遺跡巡り(1)

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北タイの仏教遺跡巡り(1)

■3都市含めて世界遺産
2月の初め、シーサッチャナライ、カンペッペの歴史公園に行ってきた。4泊5日の小旅行。愛車279佞離好ータ、フォルツァにまたがっての一人旅、走行距離は1261キロ。ラオスと違ってタイの道路は整備されているし、標識もある。ガソリンスタンドにはセブンイレブンがあって軽食が取れる。快適なツーリングであったが、走りすぎとかいくつかの反省点はあった。

北タイの世界遺産と言えばスコタイということになる。スコタイには1238年に初めてタイ族が開いたスコタイ朝の首都があった。スコタイから数十キロ離れたシーサッチャナライ、カンペッペには王朝の副都が置かれた。政治的、経済的に重要だったこの3都市に歴代の王は盛んに仏教寺院を建立した。現代に残ったそれらの遺跡は、現在、美しい歴史公園として整備されている。いずれもその希有な歴史的価値や芸術的価値が認められ、1991年にユネスコ世界遺産に登録された。スコタイ、 シーサッチャナライ、カンペッペ、3都市の遺跡がまとめて世界遺産に登録されているのであるが、日程の関係もあり、スコタイの歴史公園だけ見て、ほかの2つに足を延ばす観光客は少ない。

我が家からスコタイまで400キロほど、5時間半で行ける。シーサッチャナライ、カンペッペはスコタイから1時間以内の距離。

フォルツァでいざ出発
1月にタイ語の授業を思うところあって休学することにした。足かけ7年習ったが、あまりうまくならなかったのはもちろん自分の努力不足による。我が怠惰さを恥じる気持ちはあるが、アー、今日は学校に行かなくてもいい、という解放感は何とも言えず嬉しい。それで旅にでも、という気になったのだが、兄は授業を継続しているし同行者が見つからない。シティかカリビアンで行こうと思ったが、一人ならフォルツァで行くのも面白そう。でも1月末は寒波がタイを襲い、とてもスクータに乗れる状態ではない。

日本には昨年、中国人観光客が500万人来たそうだが、タイの外人観光客のトップはやはり中国人で2015年で800万人も来ている。2月8日から春節で北タイも中国人で溢れかえるだろう。2月の中旬になると弟夫婦がタイにやってくる。となると旅に出るのは春節前、2月の初めだけか。

頑張って何とかブログ原稿を書き溜め、友人にアップをお願いして、チェンライの我が家を出たのが2月1日の午前8時。寒波は去っているが、この日の最低気温は10度ちょっと。陽が差せば、日中は30度近くなるのだが、朝の8時、9時は13,4度か。上半身はフルフェイスのヘルメット、ダウンのジャンパーで問題ないが、走るにつれてジーパンの腿の当りが冷たくなってくる。

フォルツァでの遠出は昨年、Nさんとラオス縦断、3332キロのツーリングをして以来だ。あの時は、朝出発すると、ほとんど食事休憩も取らず、点と点を線で結ぶように夕方目的地に到着。翌朝も次の目的地を目指してひたすら走り続ける、というパリ・ダカスタイルであった。年のせいで昨年より体力、運転技術は低下しているであろう。我に七難八苦を与えたまえ、歯を食いしばって気力、体力の限界に挑戦する、というのも悪くはないが、誰も感心してくれないし、事故でも起こせば同情どころか、ホレ、見たことかとバカにされるのがオチ。安全で楽なツーリングを心掛けよう。

パヤオで一休み
グーグルマップによると自宅からシーサッチャナライまでは342キロ、4時間51分。シーサッチャナライには2度行ったことがある。スコタイに比べ、修復度合いが少ない、言い換えれば遺跡らしさが残っている。タイは遺跡の修復というと、遺跡をコンクリートと鉄筋で固め、ワット・シーチュムのアチャナ仏のように仏様のお顔まで勝手に作ってしまう。遺跡見学はタイ政府が修復する前に行っておくことが望ましいといえよう。

ゆっくり行ってもその日のうちにシーサッチャナライに着いてしまうのであるが、急ぐ旅でもない。チェンライから1号線を100キロ南下してパヤオに差し掛かった。パヤオ郊外には友人のKさんが住んでいる。朝のバイク走行は体が冷えてくる。そうだ、Kさんちで珈琲でも飲ましてもらおう。

幸い、Kさんは在宅。珈琲カップ片手に彼の第一空挺団、レンジャー隊員当時の話を聞かせてもらう。レンジャーの話だけでブログ原稿が3本はかけるのだが、今年初の単独ツーリング、先を急ぐ。昼前にKさん宅を辞去して、再び国道1号線を南下する。(続く)



写真はフォルツァ、スコタイのアチャナ仏、それにパヤオ