チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

南院で思ったこと

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象牙透花雲龍紋套球

 

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故宮5大宝物の一つ、毛公鼎

 

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赤茶碗 楽家六代左入作 江戸時代

 

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黒釉茶椀 銘「寒山」 楽家三代道入作、 江戸時代

 

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景徳鎮

 

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明、萬暦年製

 

 

南院で思ったこと

 

■南院に行くなら新幹線
南院は台北にある「國立故宮博物院」の南部分館である。正式名称は「國立故宮博物院南部院區・亞洲藝術文化博物館」。故宮博物院清王朝の財宝を中心とした歴代中国王朝のコレクションで有名であるが、南院は中華圏のみならず、シルクロードから東南アジアまで、アジア全体の工芸品やアートのコレクションと研究を行う場、という位置付けになっている。

台湾を兄と訪れたのは今年の2月末、中国本土からの観光客をシャットアウトしていたため、観光客は少なく、故宮博物院も南院もゆっくり回ることができた。
南院には台北車站から新幹線の高鐵で1時間半、嘉義駅で降りる。これが一番便利、駅から南院行きのバスが出ている。自分たちは一般鉄道、台鉄の嘉義駅で降りた。これは失敗、台鉄の嘉義駅から南院までバスはあるがかなり遠い。タクシー代を考えると新幹線にすべきだった。

嘉義といえば数年前に映画化された「KANO 、1931海の向こうの甲子園」ですっかり有名になった嘉義農林があったところ。駅から10分ほどのロータリーには嘉義農林学校野球部で活躍した呉明捷投手の像が立っている。

 

■庭を歩けば1日は必要
南院は2015年に完成した。広大な湖を含む公園の中にある。周りにはお土産物屋もレストランもホテルもない。ただ、モダンな建物が自然の中にポツンと立っている。

実は故宮の分館だから、狭くてしょぼい展示物ばかりで1時間かそこらで見学が終わると思っていた。しかしその収蔵品の質と量には驚いた。ガンダーラ、クメールの石仏、室町から江戸、そして現代の茶器など逸品ぞろい。日本の焼き物を異国で見るのはいいものだ。日本の茶碗には「銘」があり、乾山とか楽家三代道入、六代左入といった作者の名前が入っている。

ところが中国の皿や壺は龍泉窯。景徳鎮とか作陶された地名は出てくるが、作者の名前は全く出てこない。故宮博物院5大宝物の一つである彫象牙透花雲龍紋套球は象牙の玉を23層に刳りぬいたものだ。この玉を120年3代にわたって彫り続けた彫刻師の名前は残っていない。

 

■職人の歴史はない
20年以上前、シンクタンクに出向していた頃、東京大学東洋文化研究所の所長だった原洋之介先生から「中国には職人の歴史はない」と聞いたことがある。日本なら彫刻なら運慶、快慶、ずっと下がって左甚五郎、陶芸であれば本阿弥光悦酒井田柿右衛門野々村仁清尾形乾山、青木木米などの職人の名前がすぐ浮かぶ。

中国ではあれだけの工芸美術品が皇帝に捧げられていながら、実際に作った職人の名前は一切出てこない。故宮5大宝物の一つ、毛公鼎をネットで調べたことがある。この青銅器の鼎は西周、紀元前8世紀から前11世紀の時代に作られた。その当時の社会は天子といわれる皇帝と皇帝を取り巻く士大夫、それと奴隷という単純構造。職人はもちろん奴隷階級である。皇帝を国家主席、士大夫を共産党員と読み替えれば今の中国となる。要するに、中国の社会構造は何千年も前から変わっていないということだ。

 

■技術、技能への尊敬
技術、技能を持つ人を広義の職人といっていいと思うが、いまだに中国には職人の歴史はない。ファーウェイは巨額の開発費を投じて5Gの先頭に立ったが、彼らの開発費の8割はヘッドハンティングに費やされたという。集めた職人は用済みとなればポイと捨てられる。技術、技能に対する尊敬の念は全くない。
あれだけの人口を抱えながら物理学、化学、医学・生理学のノーベル賞3部門で共産中国からの受賞者はわずか1名(屠 ?? 2015年マラリアの研究で医学・生理学賞)に過ぎない。これも職人軽視の結果ではないか。

 

■改めて日本は
実はタイも職人を大切にしない国だ。安土、桃山から江戸初期の大名や茶人が大喜びした宋胡禄(すんころく)は14世紀に北タイのスワンカロークで焼かれた古陶磁であるが、17世紀には廃窯となり今は跡形もない。他にもタイにはベンジャロン焼きとかセラドン焼きなどの陶磁器があるが、一度はぷつりと窯が途絶えている。もちろん陶工の名も残っていない。

最近、疫病退散のお礼回りを兼ねて、近所の神社を再訪している。神社の狛犬は江戸時代から明治初年にかけてのものが多い。獅子を見た人がいない時代だから創造力に富んだユニークな狛犬ばかりだ。狛犬の台座に氏子一同と共に「石工、清三郎」と大きく彫り込まれていた。
石工の矜持と誇り、氏子の石工に対する尊敬の気持ちが伝わってくるように思う。日本は昔から職人を大切にする国だ。