チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

女中

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女中

母の通院は月一回だ。診察日と時間は前回の診察時に決められて、その旨を書いたカードを渡される。診察日にはそのカードを病院の受付窓口に提出すれば、看護師が診察室前の待合所に案内してくれる。病院にはいつも女中のブアが同行する。

診察室は医師の机があるだけで日本のようにピカピカの医療器具や診察設備があるわけではない。医師は白衣ではなくTシャツなど私服だ。診察室というより市役所の税務相談室のような感じだ。診察室では医師が母の衣服の上から聴診器を当てて心音を聞く。そのあとはブアがこの一月の病状を事細かに説明する。プルーム医師もブアに質問をする。タイ語だからほとんど分からない。母はおなかが膨れている。これは腎臓の周りの袋(腎嚢)に体液が大量に溜まっているからだ。特に健康に差しさわりはない。しかしブアは母のおなかを心配してX線写真を撮ってほしいと頼んでいる。結局、腹部のX線写真を撮り、再度プルーム医師の診断を受けたため、この日は午前中一杯病院にいることになってしまった。

ブアは1月末に来タイして以来、数日間クビになっていた時を除いてずっと家にいる。ブア以外にこの3ヶ月、ノーイ、シーサン、デン、ケーオ、そして今のポンと4回も女中が代わっている。もちろん母の世話は24時間で、介護3Kの仕事についていけないという女中もいたが、それだけではない。ブアがすべてを取り仕切ろうとするため、それにもう一人が反発してやめるということがあった。

ブアは4年ほどお寺に住み込んで住職のお父さん(認知症、最後は寝たきり)の世話をしていた。だから介護には慣れている。電気、水道代の支払い、あるいはおかず代のお釣りをちゃんと返却するなど金銭的にもしっかりしている。日本語をノートにメモし、「ママサン、クスリ、クスリ」とか「ネル、ネル」と言いながら母をベッドに連れて行っている。賢くて有能ではあるが田舎の人間で世間を余り知らないのだろう、自分がこの家を取り仕切っているように振舞うところがある。

相手にとって必要な人間だと思われたら、それなりの処遇を当然のごとく要求するのがタイ人だ、と聞いたことがある。そういった忠告を聞いていたのでブアの「給料を上げてくれないなら辞める」との要求をはねつけ、「そんなにいうならご希望通り辞めて下さい」と一度はクビにした。結局、本人が詫びを入れたこと、タイ人やタイを良く知る日本人のアドバイスもあり、数日後に再雇用したわけだが、復帰してしおらしくしていたのは、ほんの1週間で、また元に戻った。

外国人の使用人を上手に使える日本人は少ないという。ある駐在員に聞いたが、英国人の飼っている犬はキャンとも吠えないが、日本人家庭の犬は自分も人間だと思ってうるさく吠える。使用人のしつけも全く犬と同じ、英国人家庭では主人と使用人のけじめがはっきりしていて、命令、服従、罰、褒美で動く。日本人家庭ではこれが曖昧で、使用人になめられたり、過度に感情的になってすぐクビにするとのこと。

日焼けして女中より色が黒くなっているせいか、英国人のように威令がいき届かない。なめられているのかもしれない。後任のアテがないときに、二人の女中をクビにするには勇気がいった。兄弟二人でできないことはなかったが、やはり女中がいない介護生活は大変だった。その後、タイ語のジアップ先生がその時の窮状を知って、信頼できる女中さんを何時でも紹介すると申し出てくれた。アカ族の村パナセリからも女中を調達する手はずも整えた。オプションは以前より広がっているので、べったりとブア頼みという心配はない。ブアは今の女中ポンを自分で探してきた。給料はブアより千パーツ低い6千バーツだ。これはブアの立場を確立するために彼女が譲らなかったところだ。ポンは50歳くらい、一日中、黙々と働いている。彼女が来てから、雑草が消え、空芯菜やニラの根が植えられて、庭はすっかり菜園らしくなった。分からなくても何時間でも母の話し相手を務めている。大変だろうと自分が代わるとすっと立って、洗車を始める。掃除、庭仕事ポン、炊事、母の世話ボアと、仕事の分担を通して二人の関係はこれまでの女中に比べて安定しているように思える。

ブアは母に添い寝をして夜中に何度もトイレや紙パンツの交換をしている。食後に飲むクスリの管理も彼女だ。現状のように母の介護を2人でちゃんとやってくれれば、多少のことは目をつぶってもいいのではないかと思っている。

ブアもポンも我が家に来て以来、ずっと泊り込み、24時間勤務である。休みをくれとはいわない。言ってくれれば1晩や2晩、公休を与えるに吝かではないのだが、この国の労働基準法はどういうことになっているのだろう。