チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タンブン

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タンブン

タイにちょっと詳しい人なら「タンブン」という言葉を耳にしたことがあるだろう。タンは徳、ブンは積むの意味で、徳を積むの意味になる。具体的には、お寺に寄進したり、托鉢する僧侶に施しを与えり、恵まれないものを援助することだ。

タイの仏教はスリランカ系の上座部仏教小乗仏教)で本来は出家し、修行を重ねた坊さんしか救われないことになっている。しかし、一般の人でも救済され、来世でより良い生涯を送ることができる方法がある。それがタンブンだ。現世での幸福は前世でのタンブンが多かったせいであり、不幸は前世でタンブンが少なかったことの表れだとタイ人は考える。現世でタンブンを怠り、悪行を行うと来世は不幸になるばかりか転生先は獣へ落とされる。タンブンは人間として生きるための当然の行いだ。

タンブンを重ねると、それは次の転生時まで持ち越すことができる。タンブンは輪廻の中における善行の長期預金だ。タンブンをすればするほど来世での生活が保障され、その将来が安定していく。

タイにはひと月に4回の仏教日ワン・プラがある(新月と満月とその中間日)。この日は絶好のタンブン日となり、各寺院では法要が行われ、喜捨寄進の品々が各家庭から山のように寄せられる。線香、歯ブラシセット、石鹸、ローソク、花、布地、 お金等僧侶が必要 とする日用品等が入っているタムサンカターンという ポリバケツのセットがスーパーなどで売られていてこれがタンブンされる。トーパーパという竹のクシにお札を挟んだお飾り(丁度お札の花が咲いているように見える)もタンブンされる。

4月のワン・プラに女中のブアがトーパーパを用意していた。みると1000バーツ札の串が何本も刺さっている。全部で3,4万バーツはあるだろう。兄弟始め、村の人からのタンブンを集めたものだそうだ。お寺にタンブンをしに行くので数時間家を空けてもいいか、と聞く。公休ゼロが続いていたのでもちろん承知したが、タンブンが嬉しくてたまらないという様子でいそいそと出かけて行った。

そのあと、5月のワン・プラにもトーパーパを用意していた。ブアに頼まれて近くのお寺に車で行くことになった。お寺では本堂の正面に座ったお坊さんにトーパーパを差し出して三拝九拝する。トーパーパにはブア手書きの手紙がついている。ママさんの病気平癒と我々兄弟の満願成就を祈念して下さいと書いてあるそうだ。別に自分がタンブンしたわけでもないので少し申し訳ない気分になる。

帰りの車中でブアにいくらタンブンしたのかと聞いたら自分のポケットからは2千バーツだけと言う。エエーッ、2千も?それじゃ4月のトーパーパは、と聞くと5千バーツタンブンしたとのこと。
ソンクランの時にも近くのお寺に連れて行かれ、本堂や仏塔で拝むたびに100バーツをタンブンしていた。そのお寺で占いが良く当ると評判のお坊さんの庵に行った。ママさんの病気はどうしたら治るでしょう、とブアが100バーツ(自分も100バーツ)タンブンして尋ねてくれた。体中に刺青をしたアヤしい坊さんのご託宣は「よくゴハンを食べるように」といったものだったが。

ブアの月給は7千バーツだから、給料の大部分をタンブンしていることになる。タンブンすることが目的で働いているようなものだ。大体、キリスト教でも収入の10分の1を寄進すれば天国行きを保証してくれると聞いたことがある。これだと貧者にも救いがある。収入の大部分をタンブンしているブアのようなタイの善男善女に幸せな来世が約束されているのだろうか。

はっきり言うと、タイでは、「タンブンの金額」が非常に重要視されている。裕福な階級の人々は財力を生かしてどんどん徳を積むことができるが、経済力のない人は積める徳の量も限られてくる。回数、質、量がモノを言うのがタンブンの世界だ。残念ながら貧乏な人にはチャンスは少ない。ギブ(タンブン)・アンド・テイク(来世)のドライな勘定で、貧者の一灯といったウェットな感情が入る余地はない。 その格差は年を追うごとに開くばかり。子供が出家することは最高のタンブンとなるが子供を出家させるにも莫大な準備金が必要になっていて、手軽なように思える出家でさえも、実は楽ではない。

不平等の声はあちこちで聞くが、それでも人々は熱心にタンブンに励む。それしか幸福に至る道はないのだから、励まざるを得ないのだ。