チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ3ヶ月

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介護ロングステイ3ヶ月

タイでの介護ロングステイを始めて約3ヶ月たった。母の病状であるが、環境が変わって精神的に落ち着かなくなるかと思ったが、日本にいた時と比べて、かなり病状はよくなってきたように思う。ただ、日によって波がある。静かに昔話をして時折、笑ったりして我々をちょっと幸せな気分にしてくれることもあるが、一晩中、興奮して甲高い声を上げ、我々をてこずらせる日もある。

食事は良く食べるようになった。日本にいた頃の倍は食べる。朝は卵豆腐入りのおかゆとオムレツ、それに野菜スープ、ココアなど。女中さんが入れ歯無しても食べられるものを我々の食事とはとは別に用意してくれる。食事は朝7時、女中は5時半に起きて朝食の用意を始め、7時には熱くもなく冷えてもいない料理を出してくれる。いつも食事は親子一緒だ。食後にはマンゴー、パパイヤ、バナナなどの果物。一口大に切ったものがお皿に盛られてくる。マンゴーやパパイヤなど日本では高級果実で、このようにふんだんには食べられないことを思うと、やっぱりタイにきてよかったかな、と嬉しくなる。

マンゴーは1キロ20バーツ(55円)、ウルシ科の植物であるので、食べ過ぎるとおなかを壊すことがある。半個分も食べればその甘さに堪能する。パパイヤは女中のブアが時折、村から運んでくる。一個3,4キロもある大きなものだ。バナナも買って食べるものではないようで、これも村から持ってくる。母はゆっくり1時間ほどかけて、出されたものを食べる。おかゆの中に入っている卵豆腐を箸で器用につまんで口にする。それをみるとまだ大丈夫だなあと思う。

もし、日本で施設や病院に入っていたら、もう死んでいたかもしれないな、と思う。というのは施設では食事時間が決まっていて、1時間も悠長に食べ続けるということは許されない。せいぜい30分だ。食器が片付けられると投薬、歯磨きとてきぱきとマニュアルにしたがってコトが進んでいく。介護するほうも決まった時間内に決まったことを済まさないと、何十人もの入所者の面倒をみることはできない。母のように食事に時間がかかる患者は「はい、余り食欲がないですね、下げますよ」と目の前からゴハンが消える。特に母は、「ハイ、もういらないです」などど介護者に迎合する傾向があったし。

食慾がないとなると病院では点滴を行う。点滴を嫌がって抜こうとすれば、ベッドに拘禁される。点滴は1週間も続ければ自分から食事を取ろうとする気力がなくなってくる。やがて点滴の針が腕に刺さらなくなるので、鎖骨や大腿部を切開して、点滴の静脈注入が始まる。これで完全に寝たきりとなる。点滴では完全な栄養が取れるわけではなく、次第に衰弱して死にいたる。昨年11月に母が検査入院していた病院の医師はこの期間を3ヶ月くらいと言い、「覚悟して下さい」と兄弟に宣告したものだ。

体力的には相当の進歩がある。部屋の中ばかりでなく、手をとれば家の周りを散歩できるまでになった。車の乗り降りも介助なしできる。来た当初には考えられない回復振りだ。余りトコトコ歩かれると、転ぶのではとか、徘徊老人になるのではと心配であるが、それでも一人で歩けるようになったことは嬉しい。どうやら暖かい気候がいいらしい。脳卒中で倒れ、常時車椅子だった人が、パタヤの海で泳ぎ、タイマッサージを3年にわたって受けていたら、自力で歩けるようになったという。他にも歩けなかった人が歩けるようになった、治って日本に戻った、という話をいくつも聞いた。

もっともこういった話は、治った人の話ばかりが聞こえてくる傾向がある。治らずにひどくなったという人はそういうことを余り人に話さない。山中で熊に出会って、死んだふりをしたら助かった、という人の話は聞けるが、死んだふりをしてみたが、そのまま熊に食われてしまった、という人の話は聞くことができない、というのによく似ている。

病院へは月一度の通院であるが、ソンクラン期間中、担当のプルーム医師からブアの携帯に連絡があった。母の病状はどうか、何かあったらすぐ病院に来なさい、といった簡単なものであったが、異国で医師からこういった心遣いをされると本当に嬉しいものだ。プルーム医師は今のところ睡眠薬を処方していない。それでも夜静かに寝ていることが多いのは、やはり病状がいい方向に向かっているのだろうと思う。