チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

小津映画の世界

イメージ 1

小津映画の世界

介護ロングステイといっても、日本にいたときのように四六時中、母の世話をしているわけではない。母の世話の大部分は女中さんにお願いしている。知人から「毎日の介護、ご苦労様です」といったメールが来ると、実のところ余り介護していないのです、すみません、と謝りたくなる。介護が必要な老親を抱えていても、安心して楽しい海外生活を送る、介護が第一であるが自分の生活も日本にいたとき以上に充実させる、これが介護ロングステイの要諦ではないか。

図書館で読んだ介護実録モノは概ね、それは、それは大変な介護生活であったが、家族やケアスタッフのお陰で安らかに天国に旅立ってくれた、寂しさの中にも達成感があります、というサクセス・ストーリーが多かった。映画でいったらトム・ハンクスが出てくるアメリカ映画のようなものだ。自分の介護ブログは現実との同時進行であるから、ハッピーエンドになるとは限らない。予期せぬ出来事が起こって欧州映画のように救いのない暗い結末に終る可能性も充分ある。

禁じられた遊び」(仏映画)は映画が始まった途端に両親が死んでしまう。みなしごの女の子は他人の家でいじめられたあげく駅の雑踏で行方不明になる。ビットリオ・デ・シーカ監督の「自転車泥棒」(伊映画)も暗い映画だった。仕事にありついたのに自転車を盗まれたためにそれがフイになる。盗まれた自転車を探しても、探しても見つからない。代わりに人の自転車を盗もうとした男は群集にボコボコにされるという話だ。ワシ、こういう惨めっぽい映画は本当に嫌いなんよ。

極め付きはポランスキー監督の「テス」(英仏合作映画)だ。トーマス・ハーディの小説を映画化したものだが、我ながら173分もこんなに暗い映画に付き合ったものだと感心する。貧しい商人の家に生まれた少女テスが「おしん」さながらのこれでもか、これでもかの不幸の果てに、情夫を殺し、自分は死刑になるという悲惨極まりない話だ。主演したナスターシャ・キンスキーというロシア系の女優さんを思い出すたびに胸が締め付けられるような気分になる。

母は、日本にいたとき、左足が浮腫んで丸太棒のようになっていた。歩かないからいけない、歩かせなさい、と医者はいう。トコトコ歩けたら苦労はしませんよ、と返したかったが、お医者様には口答えは出来ない。手をとらないとトイレにも行けなくなっていた。
ところが、タイの家は広い。1階の居間に母のダブルベッド、女中さんのシングルベッド、大型テレビに6人掛けの食卓、更に3つのソファ、長椅子の応接セットがあってもまだ、卓球台が置けるほど広い。トイレやシャワーに行くにも、かなりの距離を歩かなくてはならない。居間から庭に出て、車椅子に乗るにしても20歩は歩く。ということでいつの間にか足の浮腫みは消えてしまった。服装もTシャツに短パンだから動きやすいのかもしれない。(画像は自宅)

家が広いことのメリットはまだある。日本では親子3人6畳の掘り炬燵に座って、母の「お腹が痛い、助けて」という甲高い声を顔つきあわせて聞いていた。時にはわざとお茶をこぼしたり、人の本を破く。病気だとわかっていてもついイライラして「やめて、何度言ったら分かるの」と情けない気持で叱っていた。叱られたことは本人も分かるようで「だってお腹が痛くて・・」こんな会話を何百回繰り返したことか。こちらでは世話を女中さんに任せて、2階でパソコンに向かうことも出来る。外出も出来る。おかげで気持に余裕が出来て、少し優しく母に接することができるようになったように思う。タイに来て母よりも自分の方が精神的に落ち着いてきた、とだけは言えそうだ。

しかし、まだ介護ロングステイを始めて2月足らず、どこで欧州映画の悲劇が待ち受けているかは分からない。ハッピーエンドは望むべくもないが、「お母さん、お腹が痛いんだ」、「そうなのか」、「そうなんだ」といった何気ない会話が淡々と続く、小津安二郎の世界くらいは期待したい・・・・のだが。