チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ1年半

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介護ロングステイ1年半

認知症のおかげでバス旅行
旅行記シェムリアップでストップしたままだが、カンボジアに行ったのはもう1月以上前のことになる。バスにずっと乗っていただけ、という気もするが、何かと思い出深い旅行だった。バスで3千キロ以上旅する機会に恵まれたのも、チェンライに住んでいたから、つまり、タイでの介護ロングステイに踏み切ったからともいえる。母が元気であったなら、タイには来なかったかもしれないし、多分アンコールワットに行くことはなかっただろう。行ったにしてももっと違った形であっただろう。これも母のおかげといっていい。
かといって、ひょいと外国へバスで行ける生活と母が元気なほうとどっちがいい?と問われたらどうか。もちろん母が元気であるに越したことはないが、そういう質問には意味がない。例えば自分がもし刑務所に出たり入ったりするような息子であったら、母は心配でぼける暇がなかっただろう。だからといって母のボケ防止のために警察のご厄介になるというのではバカみたいだし、今更刑務所に入ってもどうなることでもない。つまり過去のことをあれこれ考えても仕方ない。これでよかったのだ、といつも考えている。100歳双子姉妹のキンさん、ギンさんのキンさんがいつも言っていた。「今が一番シャーワセ」と。

■身体的には健康な毎日
母が今の生活をどう思っているかはわからない。チェンライに住みついて1年半になるが、母はタイにいることを認識していない(と思う)。散歩をしてもドライブに行っても外界に興味を示すことが少なくなってきた。息子に向かって「あんた誰?」ということもある。しかし意識が常に霧の中に入っているわけではなく、時には人の顔をみて「いい子だったのにネー」などと嫌味をいう。
団地内の散歩コースに等身大の菩薩像(画像)を歩道に向けて安置している家がある。女中は通るたびに手を合わせている。母も以前は手を合わせていたが、今は全くの無関心だ。それが先日、兄に車椅子を押されて菩薩様の前を通りかかったとき、突然手を合わせて「どうかこうじ、ひできをお守りください」と頭を下げたそうだ。それにしても頭の霧が晴れたとき、菩薩様にお願いすることが自分のことではなく、60を過ぎた子供のことというのが切ない。

■新人女中、オイさん
4月に女中が1人、20歳のオイさんに代わった。彼女が母の食事の介助をしている。前任のインさんは、母がもういらない、という動作をすれば、そこで食事をやめていた。自分が病気がちで、食欲がなかったせいかもしれない。ところがオイさんは母が嫌がっても上手に母の口の中に匙を運ぶ。母も口の中に食物入ってしまえば飲み込む、ということで毎食完食ということになってしまった。オイさんに代わって2月もすると母は見た目にも太ってきた。
オイさんは聞き分けのない母を上手にあやして面倒を見てくれる。介護は3Kの連続、二十の若い娘さんが喜んでする仕事ではない。時折、彼女に「ミー・パンハー・アライ・マイ(何か困ったことはない?)」と聞くのだが物静かに微笑んで「マイ・ミー(ありません)」と答える。いい娘さんだな、といつも思う。

■もうタイ人の女中は見つからない?
先日、チェンマイに長期滞在されている方と会った。彼が言うにはもう女中はタイ人の仕事ではないとのこと。タイが経済発展し、進学率が高くなってきた、高卒の人はもう女中の仕事はしない。いくらでも女中が雇えたのは10年前の話。彼は要介護のお父さんを抱えていたが、女中ではなく介護師3人に24時間介護をお願いしていたという。
ブアは別にして、女中はこれまでに7人代わっている。女中が辞めるたびに、知人やブアの手づるを頼って後任を探したが、結構大変だった。いまどきのタイ人家庭ではミャンマーラオスの女の子を女中に雇っているという。彼女たちの多くは正規のビザを持っていない。弱みにつけこんで低賃金で働かせたタイ人雇い主を殺害、などという新聞記事を時々見る。彼女たちの給料はタイ人の半分以下という。しかし、雇い主はビザ不所持者雇用のお目こぼし料を警察に払わなければならないため、トータルではあまり変らないとも聞く。
ともあれ、いつまでいてくれるかわからないが、ブアさん、オイさんの2人がいてくれて、本当に助かっている。今日もテニスに出かけたが、これも女中さんが母を見てくれているからだ。今が一番シャーワセなどといえるのも女中さん始め沢山の人に母の介護が支えられているからだ。ありがたい、ありがたい。