チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

地方巡業 7

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地方巡業 その7

8時半にウルゲンチ・バンク・カレッジのボホデル学長補佐がホテルにピックアップに来てくれた。冬には零下20度になるというウルゲンチの朝は寒い。例年なら雪が降っていてもおかしくない。名刺を差し出すが向こうは持っていない。講演旅行中、たくさん名刺を配ったがウズベク人から名刺をもらうということはなかった。名刺を渡すという習慣が一般的ではないようだ。

ウルゲンチ・バンク・カレッジは生徒数1570名、教員数は100名以上。卒業生のうち38%が大学進学、58%が銀行、政府関係機関に就職。
バンク・カレッジは銀行と何名受け入れると契約を結んでおり、景気の波に左右されず、卒業生を送り込める。実失業率40%といわれるこの国では、卒業後就職の心配がないバンク・カレッジの人気は高い。

学校へ行ってみるとすでに1,2年生150名ほどが講堂に集まっている。前日のトゥルクール・バンク・カレッジに比べるといくらかお客が少ない。先生の参加も2,3名だろうか。
もちろん、それで落胆するようなことはない。今日もやる気十分。
はじめに生徒全員が起立して「サレマレコン」と唱和してくれる。お返しに「マーレクン・サローム」と大きな声で挨拶する。つい頭を下げてしまうのがおかしいらしく、笑い声が広がる。それほど怖い人ではなさそう、と安堵の顔色だ。

改めておはようございます、優秀なウルゲンチ・バンク・カレッジの生徒さん、先生方を前に今、こうして講演できることを大変名誉に、またうれしく思っております、さて私は、・・・

始まって30分くらいしたら、最前列で聞いていたボホデル先生よりメモが回ってきた。午前中1回の講演予定でしたがもう一回、同じものをやってください、別の生徒を集めますので、ということだ。聞いてみたら思いのほか面白いので、ということらしい。うれしそうな顔をするのもどうか、と思ったので、そっけなくOKと伝え、講義を続ける。生徒はそれほど活発ではないが、時折、こちらが投げかける質問への反応はそれほど悪くない。講堂内は暖房が入っていないのでコート着用の生徒も多い。

80分ほどの第一回講演を終了し、学長を表敬訪問。学長の名前はヒックポショ、金融大学卒業、50くらいの怖い顔をした女性だった。モスレムなのでスカーフを被っている。学長室のつくりはどこのカレッジでもおんなじだ。まず入り口に女性秘書の部屋があり、ここが受け付けをかねている。秘書室と学長室はドアで区切られている。学長室に入るとまず目につくのがこの国の大統領の大きな顔写真だ。

広い学長机の前に数人座れるテーブルがある。大体ここに座って学長とお話しすることになる。学長机には書類が山のように積まれている。地方のカレッジであっても学長の机の上には必ずコンピュータが置いてある。タシケント・バンク・カレッジのザイニディンのPCは17インチ液晶モニターの新しいPCだが、地方ではブラウン管式モニターやウィンドウズ95以前といった旧式のラップトップが置いてある。

しかし、あまり起動しているPCを見ることがなかったのはなぜだろう。
PCとは対照的に必ずスイッチが入っているのがテレビ。結構、音声のボリュームが大きい。この日もテレビの音でヒックポショ学長の話が聞き取りにくいのだが、音量を下げてくれない。結婚式の大音量披露宴、レストランのバックミュージック、白タクやバスのラジオの音量など、ウズベクでは大きな音を聞かせることがサービスと心得ているようだ。ボホデル先生やナフォサットに話をしている学長の横顔を見ていると視線を感じるらしくそのたびに、こちらをジロリと見据える。おっかない顔なのでそのたびに目をそらしてしまった。

皆さん、長時間、お付き合いいただきありがとう、今日は寒いですから風邪を引かないよう気をつけてくださいと言って拍手の中、11時から12時30分の追加公演をすませる。

ボホデル先生の案内で市内のホラズムレストラン「バブール」に行き、昼食をご馳走になる。このレストランのウリは柘榴(ざくろ)ジュースだ。ただ柘榴を絞っただけの生ジュースが供される。絞ってから1時間もすると味が変化するのでまさに時間限定ジュースだ。1日300個以上の柘榴が消費されるとのこと。(続く)