地方巡業 その8
ウルゲンチから火曜の夜にタシケントに戻り、水曜はゆっくりして木曜早朝に空路ブハラ入りという当初のスケジュールであったが、航空券を手配してくれているJICAから木曜の切符が取れないので一日早くブハラ入りしてくれないかという連絡があった。
火曜の深夜に着いて翌水曜の早朝発ということになるが、もう講演予定が決まっているので仕方がない。
ボホデル先生には昼食のあと、ヒバのイチャン・カラ(画像)を案内してもらい、8時過ぎに空港まで送ってもらった。スカラー・シップを貰って日本に研修に行きたいという彼と再会を約して別れた。
空港でフライトが遅れて出発が夜の11時くらいになると知る。タシケントではJICA現地職員が明日の切符をもって出迎えてくれることになっている。連絡を取って深夜の到着になることを連絡する。
ウルゲンチからブハラまでは4,500キロ、タクシーで5,6時間の距離である。もしフライトの大幅な遅延を事前に知っていたならばタシケントに戻らず、直接ブハラへ向かうという手もあっただろう。このフライトの遅延が次の週の講演に大きな影響を及ぼすとはそのときは知るよしもなかった。
ウルゲンチータシケント間のフライトは朝1便、夜1便の2便だけ。遅れるといわれれば待つしかない。搭乗手続きを待つ我々のところに、見知らぬウズベク人がやって来て、タシケントの空港で待っている人にこの荷物を届けて欲しい、書類ですから心配ない、などと言う。東南アジアではこういった依頼を気軽に引き受けて麻薬の運び屋にされ、牢屋につながれてしまったという話を聞く。冷たいようだが外人でよくわからないといって拒絶した。
そのうち、お金をタシケントに待っている人に言付かってくれないか、と言う若者が現われた。見ず知らずの外人にかなりの額の紙幣を預けて平気なのだろうか。悪いけれど、と断る自分を見て、ナフォサットが何故、預かってやらないのかと聞いてきた。こういった依頼はよくあるで、引き受けてあげるのが通常とのこと。
普通、送金といえば銀行送金である。日本の地方空港で現金を預けるから、到着空港で待っている人に渡してやって欲しいと頼む人は皆無だろう。多少のリスクがあっても見ず知らずの人に現金の託送を頼むということは銀行送金に問題があるとしか思えない。
ナフォサットに聞いてみると、いくつか理由がるようだ。まず銀行送金には時間がかかり、何時相手の口座に入るか分からない。俄かに信じがたいことであるが、本当らしい。中国の銀行では別人の口座に送金され、クレームを申し立てると「当事者同士で話し合ってくれ」と言われるケースがあると聞いたが同様のことが起こるのかもしれない。
送金すればお金があることが判る。そうするとどこからか税務署員が現われて、金の出所を追求し、結果として多額の税金を徴収されることがあるそうだ。こちらの税務署の権力は絶大だ。税務署がこれこれの税金を払え、といえばこれは問答無用である。無視すれば警察と牢屋が待っている。
ある人から歓送迎会を開いても会計報告をネットで流してはいけない、と忠告されたことがある。当局のネットセンサーに引っかかって会費に課税されることがあるから、だそうだ。黒字額に対してではなく会費総額に対して課税されるのでばかにならない金額となる。
ということは、現金輸送を他人に依頼することが一般のこの国では金融システムが普通に機能していないのではないか。経済が上手く機能するためには金融システムが健全に機能していることが最低限必要だ。
ベンチャーを起こすにもまずは金が必要だが、金融システムが普通に機能していないこの国でどうやって起業家は資金を集めるのか。金融システムを知らずして起業を説くのは全く無意味なのではないかとさえ感じた。
結局、帰りの便でタシケントに到着したのは午前1時近かった。JICA現地職員の車でナフォサットの家を経由してアパートに戻ったのは1時半、メールを見て必要な返事を打ってから寝たのは2時過ぎ。うとうとしただけで起床したのは午前5時半、資料をカバンにつめて空港に向かい、7時過ぎのブハラ行きの飛行機に乗り込んだ。ナフォサットばかりでなく自分としてもこんなに苛酷な出張は初めてである。
今年一年ご購読有り難うございました。年末年始はお休みし、1月7日からまた再開したいと思います。