チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

地方巡業 6

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地方巡業 その6

ウルゲンチはソ連時代にできた街だ。道路が広く、照明が暗い。ホラズム・パレスというホテルに入ったのは午後7時近かった。ルスタン学長は、この日朝8時過ぎから11時間近く、我々に付き合ってくれたことになる。(12月9日付け「地方巡業 その5」)政府視察団のメンバーとして、必ず日本に行くという彼と再会を約して別れた。

ウルゲンチ周辺には青少年活動で3名、看護師1名の4人の隊員がいる。男子1名、女子3名。この日は女性隊員が3名が我々の到着を待っていてくれた。ホテルで落ち合い、近くのホラズム料理店に案内してもらった。
看護隊員のFさんは自分と同時期の赴任、すっかりウズベク語が上手になっている。レストランのウェイターとのやり取りを聞いていると実に頼もしい。女性隊員のほうが概して逞しいのではないか。
隊員とナフォサットはウズベク語で話すので自分は内容が分からない。英語や日本語で通訳してもらう。それでも同年代の女性たちだ。手真似を交えながら会話が弾む。

Fさんが感に堪えたようにナフォサットさんのウズベク語は美しいですねえ、と言う。日本語と同じくウズベクにもお国言葉があり、ホラズム地方は早口で曖昧な口調になる。お昼にルスタン学長がウォッカで酩酊したのではと誤解した理由もここにある。語学は聞いて、覚えて、繰り返すの連続だ。だから地方隊員がタシケントに上京してくると、お国訛りをからかわれることがあるらしい。

地方を訪れたときは時間が許す限り、地方隊員と食事を共にするようにしている。やはり同じボランティアではあるし、元気にやっているか気になる。それよりも若い人が頑張っている様子を見てこちらが元気付けられる。
口の悪い友人は、オジサンが20代の若い女性を誘っても、日本ではハナも引っ掛けてもらえない、日本人会登録者120数名の国だから食事に付き合ってくれるのだろうと言う。
確かに、ウズベクに来たおかげで妙齢の日本女性と話すことが増えた。そういう機会が日本では少なかっただけに、若い人の考え方や発想を面白く思う。時には挑発して会話を盛り上げる

概してシニアボランティアは組織、役職を離れ、人生を自由に考えている人が多い。この国で何か困難にぶつかっても、マアこんなものだろう、とまず受け流し、必要であればその対策をできる範囲で考える。人生経験が長いだけに隊員に比べカッカすることが少ないのではないだろうか。

その点、隊員は若い。ボランティアとしての意識も高い。自分の力を、発展途上国のために役立てたい、と言う気持ちも強い。ある看護隊員はシュバイッツアー博士に憧れ、アフリカの奥地を希望していたのに、ウズベクに回されてしまったとぼやいていた。

高邁な理想をもって赴任してきたのに、現地の受け入れ態勢が全く整っていないことにがっくりする隊員もいる。
あんた何しに来たの? ウズベクに勉強しに来たのね。えっ JICAの関係? それではこの事務所にパソコンを5台寄付してよ、いつ呉れるかしら・・・・ 
それじゃそこに座っていてね、といわれて何ヶ月もそのまま店晒しという隊員もいた。
自分の必要性を配属先が全く理解していないと分かってショックを受ける、これに加えてホームステイ先との人間関係がこじれるとまさに逃げ場がなくなる。ちょっとした行き違いが感情問題に発展して、下宿代の他に食費を出しな、と法外なお金を要求される、同じ屋根の下で口をきかない、貸したものは返してくれない・・・

挙げればきりがない。問題は確かにある。でもすべて問題が解決しているのであれば、この国はとっくに発展してJICAの援助など必要でなくなっているだろう。問題があるからこそ我々が派遣されたわけだ、今、みんなで美味しいウズベク料理を食べているのもそのおかげと思って、できることを精一杯やっていこうよ、などと言ってウォッカを注いであげる。

ウズベクに来て年配の方とこんなにお話できて楽しいです、ウズベクの人とは勿論ですが、私たちの知らない経験を持つ日本の方とお話できることは素晴らしいことですね・・・

まさにその通りだ。でも自分も隊員との会話を通じていろいろ学んでいるのだ。それはカレッジの生徒や先生方を前に講演している時にも同じことを感じた。
ウズベクに来ることなくそのまま会社勤めをしていたら、役職をバックにヒューマン・コントロールに専念し、自分が未熟であり、まだまだ人間として発展途上であることに気付くことはなかったかもしれない。
多くの新しい素敵な出合いに心から感謝したい。(つづく)

画像はウルゲンチのカレッジでの記念撮影風景