チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

健康診断

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健康診断

JICAではシニア・ボランティアの健康に気を使ってくれる。2年の任期中に1回(30日)の健康チェック帰国休暇が認められている。帰国しない年には現地で健康診断を受けることができる。

そういえば昨年の12月に健康チェックのために一時帰国させてもらった。革の鳥打帽、足首まであろうかというゾロリとした黒革コートというウズベクの典型的ファッションは日本ではかなり異様でびっくりしたのか、あるいは哀れんでくれたのか、会う人が皆ウズベクでは飲めない美味しいビールをご馳走してくれた。有難いことである。
帰国していた1月の間に3キロほど太り、中性脂肪値と尿酸値を高め、立派な脂肪肝となったことと思うが、決して後悔していない。体重よりも友人、知人のご好意の重さをかみしめた1月であったと思う。

ウズベキスタンJICA事務所には顧問医として英語を話すロシア人女医がおり、投薬、医療機関の紹介をしてくれる。また今年からは日本から常駐看護師が赴任してきている。多くの発展途上国で頑張っている隊員たちに比べればウズベクは格段に恵まれているといっていいだろう。

ウズベクの医療水準は資料では問題ないとされている。しかしこちらで実際に病院に勤務している看護隊員に話を聞くと、医師や病院によって技術にばらつきがあり、特に一般のウズベク人が行く無料病院のレベルは低いとのこと。
幸いこれまで病院にいくような病気にかかったことはないが、一度、歯の詰め物が取れてしまって樹脂の再充填をしてもらったことがある。顧問医と一緒に行った歯科施設で紫外線硬化樹脂を詰めてもらったが、1月足らずで取れてしまった。また詰めてくださいと頼みに行ったら、貴方の歯は特殊な金属で治療されているため、この国で治療することはできない、診断書を書くので日本で治療するように、と申し渡された。
JICA提出用の診断書を通訳に訳してもらったが「患者は熱があり、歯の痛みを訴え、しかもこの国では認可されていない金属で永久歯が覆われているため、治療困難、即刻、日本に帰国させるべし・・・」と書いてあったそうだ。歯科医よりも小説家に向いているのではないか。JICAからセカンドオピニオンを、といわれて訪れた最高級歯科施設で、米国留学したという美人歯科医に簡単に治療してもらえた。ただし、治療費はそれまでの歯科施設の10倍以上だった。

今回、健康診断をしたのはMDSサービス(メディカル・ダイアグノスティック・アンド・スタティスティックス、医療診断統計サービス)という一流の医療施設である。
SV仲間のYさん夫婦と一緒に午前9時に受付へ行く。日本の大病院の受付と同じく人でごった返している。JICA顧問医のタチアナ先生が待っていた。まず、検尿、トイレの前に白衣のおばさんがいて福神漬けが入っていたようなガラス瓶を渡される。キャップを締めるでっぱりがあったから何か食品の壜を代用していると思われた。ここに持参した検便用資料を置くように言われる。容器は適当にといわれていたので半世紀ぶりにマッチ箱を利用した。
次は超音波検査。滑りを良くする液をお腹に塗るのだがこれがめちゃくちゃ冷たくて液をたらすたびに飛び上がりそうになる。(日本であれば暖めてあるのに)次は採血、心電図。

次はレントゲン、息を吸って、ハイ動かない、それでは横を向いて、ハイ終わりです、はいいのだが、放射線被爆を避ける避難室はない。鉛ゴム入りのエプロンが壁にかかって入るが使った形跡はない。タチアナ先生も立ち会っているが放射線を避ける気はさらさらないようだ。それよりもレントゲン室と待合ロビーを隔てるドアは普通の木戸であるし、壁もベニヤの薄っぺらいものだ。待合室でも充分放射線を浴びることができる。レントゲンによる放射線被爆量はたいしたことはないというがレントゲン技師は甲状腺異常など起こさないものだろうか。

それよりも、とYさんの奥さんが言う。レントゲン室はカーテンもなく、ドアを開けると中が丸見えになる。まだかなあ、と知らない人が検査中2回もドアを開けたそうだ。フィルムを持ち運びする人も出入りするし、この国ではプライバシーはどうなっているのだろう。
聴覚検査では隣の部屋で話す人の声や待合室の子供の泣き声に邪魔されてイヤホンの音が聞き取れず、Yさんは難聴という診断を受けた。身長は紙製の目盛りを張った壁に立たされて、長身のタチアナ先生による目視で終わり。視力検査は、見えるが読めませんのキリル文字でなく、数字だったので助かった。
タチアナ先生は検査技師や医師と知り合いらしく、優先的に我々の検査をしてくれたのだが、日本であれば2時間以内にすむであろう健康診断が終わったのは14時半だった。

いろいろカルチャーショックはあったが、この国では病気になりたくない、という気持ちを強くした1日であった。何にもまして健康第一だ。

画像はタシュケントの初雪