チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

地方巡業 5

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地方巡業 その5

紀元前2世紀、カラカルパック自治共和国のあるホラズム地方はマサゲド人の小国家が乱立して覇を競っていた。名前は残っていないがある有力な国がこの地を治めていたが、隣国から攻められた。住民はこのカラに逃げ込み、籠城作戦に出た。この国にはグルドゥルスンという名の美しい王女がいた。(画像・カラの名はこの姫の名前に由来する)

ある時、彼女が高い城壁から下を見下ろすと、丁度、敵国の王子が兵を閲兵しているところだった。彼女は王子を一目見て恋に落ちる。手紙をやり取りし、時には城門を潜り抜け、王子と密会するようになった。籠城は40日に及び、城内の住民は飢えに瀕した。籠城している国の王は何頭かの牛に餌を充分やっておき、丸々と肥えたその牛を城外に放った。牛がこのように太っているようでは、食料も充分にあり、これ以上城を囲んでいても無駄だ、と敵を欺くためである。

敵国の王は息子に言いつけて、城内の様子を探らせる。恋に盲目となったグルドゥルスン姫は愛する王子にすべてを打ち明けたばかりか、夜に南の城門を開けてくれたら、親が結婚を許してくれるという王子の話を信じて門を開けてしまう。雪崩を打って押し込んできた敵勢によって、グルドゥルスン姫の国は滅ぼされてしまう。敵国の王は自分の国を売るような女と息子を結婚させるわけにはいかないと姫を処刑してしまう。

ルスタン学長が土塁の崩れたところ指さして昔はあそこに城門があり、それが、グルドゥルスン姫があけた門だったのです、と2千年以上前の話をつい先日起こったことのようにサラリと説明してくれた。
ナフォサット嬢も小学校の時、この話を習ったという。ウズベク人なら誰もが知っている歴史のエピソードのようだ。

グルドゥルスン・カラのあと、車で30分ほどのところにあるヤンバシェ・カラという古い城砦遺跡に行った。このカラが築かれたのは紀元前13世紀にさかのぼる。グルドゥルスン・カラに比べて規模は小さいが兵士が矢を射掛けた窓が残っている。カラの内部に入ると土器のかけらが無数に散らばっている。このカラには井戸がなかったため、大きな水瓶を多数並べておいたのだそうだ。この地はキジルクム砂漠の中では珍しく高台になっていて見晴らしがいいために、水の便が悪くても城壁が築かれたのだろう。このカラは1220年にジンギス汗のモンゴル軍の攻略を受け、徹底的に破壊される。略奪と殺戮は7日7晩続いたといわれる。

そのときに粉みじんにされたのだろうか。土器のかけらを拾ってみた。実は昨年、ヒバを旅行した際に訪れたアヤズ・カラやトプラク・カラでも遺跡に落ちている土器のかけらを拾ってきた。アレキサンダー大王に攻め落とされたというヌラタのカラでも彩色土器の破片を持ち帰った。

SV仲間で考古学が専門のUさんにそれらの破片を見せて「もしかしたらお宝ではないでしょうか」と尋ねたら「へッ、そんなもん」とにべもない返事が返ってきたものだ。土器の破片を手に取ったものの、Uさんの応対を思い出して、そっと元の場所に置いた。

夕日が赤く城壁を照らし、長い影が伸びる。冷たい風が砂漠を吹きぬけて思わずコートの襟を立てる。誰もいない城壁、骨のように散らばる土器の破片、しゅうしゅうという風の音が皆殺しにあった人々のすすり泣きのように聞こえた。

一度、トゥルクールに戻り、そこからウルゲンチまで送ってくれるという。そろそろ暗くなりかけている。この日の夜はウルゲンチで頑張っている隊員たちと会食を約束している。

ウルゲンチへ向かう車の中で、ルスタン学長に、お昼にご馳走になったカラカルパクのウォッカは美味しかった、あれはなんと言う名前ですか、と尋ねてみた。するともうトゥルクールの町外れに差し掛かっていたのに、学長が車をUターンさせて、また市内へと戻っていく。そんなに気に入ったのだったらそのウォッカをお土産に差し上げます、とのこと。街の酒屋でその「カラタウ」というウオッカを4本買ってくれた。この国の人たちのホスピタリティには本当に頭が下がる。

4本のウォッカのうち1本はその夜、隊員たちと共に消費。1本は次の日お世話になったウルゲンチ・バンク・カレッジの学長補佐にお礼として、1本はタシケント・バンク・カレッジのザイニディン学長に差し上げた。残りの1本が今、パソコン横の本棚に鎮座している。もう手に入ることはないだろう。(画像は13日記事参照)何時、誰と飲もうか。そのときはカラの話をするのであろうか。ルスタン学長の話をするのであろうか。
(まだ続く)