チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

青年海外協力隊員

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がんばる青年海外協力隊

JICAは人を通じて行う援助に力を入れている。主として現地官公庁に所属して専門的アドバイス、業務を行うJICA専門家の他に、ボランティアというカテゴリーで青年海外協力隊員(隊員)とシニア海外ボランティア(SV)がいる。

ウズベキスタンに勤務するボランティアは4月末現在で隊員17名、SV10名である。
ボランティアグループは、政府機関に配属される人もいるが、主として学校、病院、商工会議所などの現場で勤務する。ボランティアであるから決して待遇はよくない。もちろんそれを承知で応募し、高い志を持って発展途上国に赴任してきたわけであるから、待遇に不満を持つような人はいない。

隊員の手当は月300ドルだ。これとは別に住居費としてタシケントでは120ドルが支給される。サマルカンド(写真)、ウルゲンチ、ブハラなど地方都市では50ドルとなる。実は昨年度まで、地方都市の住居費は20ドルだった。それは隊員の場合、ホームステイが原則で、ホームステイ先では「どうしてあんな遠い国からこの国のために来た若者からお金をもらうことができましょう。」と言って、無料もしくはお気持ちだけしか受け取らないという現実があったからだ。

しかし、この国のホームステイというのはラクではない。家族の一員として遇してくれるのはいいが、個人生活がないのだという。ちょっと部屋で休みたいなと思っても、お茶が入ったから来なさいとか、とにかくみんなと顔を合わせていなければいけない。逆にウ国の人にしてみれば家族の一員なのだからそういう「濃い付き合い」をすることがホスピタリティということになる。個室に子供が入ってきて、決して悪気はないのだろうが、文房具などを持っていってしまう。
女性隊員の場合は、ホームステイ先にとって娘が一人増えたのと同じだから、当然、家事分担をさせられる。仕事から帰ってご飯の支度やら洗い物など、これではレポートを書く暇もない。ということで地方隊員は20ドルに少し自己負担をしてアパート住まいをするようになった。こういう現実をJICA事務所も追認して、50ドルの住居費となったわけだ。サマルカンドの隊員に「どんな所に住んでいるの。」ときくと2DKくらいのアパートだと言う。ただし、電気、水が時々止まる。数日水がでないこともある。そのときは生活用水を自分で運び上げないといけない。
タシケントでは無理だが、地方都市では1日100円あれば3食外食が可能で、タクシーは市内一律200スム(20円)と生活費は安い。年金が少ないとご不満の方は、年間6ヶ月くらいサマルカンド(写真)あたりで暮らしてみてはいかがだろうか。貯金はできるし、日本国の有難さを再認識できる。(実際はビザの関係で難しいようです)

日本語教育、観光業、医療機器メンテ、青少年活動(孤児院、小学校など)の仕事は工夫次第で成果が上がるので、生き生きとしてがんばっている隊員が多いように感じる。また4月に帰国するこういった職種の隊員は達成感を感じ、またこの国に来て働きたいとも言っていた。

それに引き換え、「もう来たくない。」という隊員もいる。それは看護隊員の人だ。この国ではソ連時代の影響で、病院では医師がすべての権力を握っている。看護師は医師の召使同然だ。こちらの看護師は月給が20ドル、それにお金を出せば看護師の資格が取れる(らしい)。給料が安いのだから、患者のことなどどうでもいい、できるだけ手を抜いて早く帰りたいという看護師が多い。
隊員は医者の指示であろうと薬を渡したり、注射をするには医療技術者の責任として患者さんの病状、薬効、必要量、有効期限などあらかじめ知っておく必要がある。その情報無しで投薬、注射をして事故があった場合、誰が責任を取るのか。したがって医療行為の出来ない看護隊員ができることは限られてくる。持てる知識をセミナーの形で同僚に教えていくこともそのひとつだが、講習に出ても給料が上がるわけでもないし、プライドが高く今更何も日本人看護師に教えてもらわなくてもという現地看護師もいる。

大きな病院には外国人が見学に訪れるので、「ほら、うちには外国からも看護師が勉強に来ていますよ。」というデモンストレーションに使われているのでは、という看護隊員もいた。
こういった現実を踏まえ、JICA事務所でも現地の病院配属の要望をそのまま受け入れるのではなくて、看護学校で教えるなどの教育分野に隊員をシフトしていく考えのようだ。

それでも、病院を去るとき同僚や婦長さんから花束やウズベキスタンの花嫁衣裳(四角い帽子、金刺繍のガウン)を贈られて「思わずウルウルしちゃって、皆から笑われたよ。」といっていた彼女にもきっとウズベキスタンのいい思い出もあるはず、と思った。

中西