チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

オペラを200円で鑑賞

イメージ 1

オペラを200円で鑑賞 ナボイ劇場で

大使館で行われたレセプションでN夫人に、ナボイ劇場でヴェルディのトラビアータ(椿姫)が上演されるので一緒に行きませんかというご案内を受けた。結構評判がいいとのこと。すぐ承知した。

ナボイ劇場はこれから書くことがあるかもしれないが、日本人抑留者が建てたロシア風の1500人入るという大劇場だ。1966年のタシケント大震災の折に市内の建物は大打撃を受けたにも拘らず、この劇場はびくともしなかった。さすが日本人の作ったものは違うと、日本の評価を一段と高めた由緒ある建物だ。タシケントを訪れる日本人が必ず見学に訪れる名所でもある。

オペラ、椿姫は午後6時開演、劇場に15分前に到着し、当日券を切符売り場で買う。夫人はすでに自分の切符を買ってあるのだが、切符売り場のおばさんが、いい席が空いているから、並びの席にして上げましょうと言って、前から5番目、中央の席にしてくれた。なんと値段は感激の2000スム(200円)だ。本当にこの値段で生のオペラが見られるのか心配になる。劇場内部の豪壮な造りにまず感動する。日本人抑留者がこれを建築したと思うと感無量である。

開演5分前くらいになっても客は半分くらいしか入っていない。椿姫といえばポピュラーなオペラで、日本でもまず前売り券は売り切れ、というのが普通である。もっと観客が入ってもいいのではないかと思って、N夫人にお聞きすると「これでも一杯入っているほうですよ。少ないときは40-50人くらいしか客がいないときもありますよ。」とおっしゃる。ナボイ劇場で月曜を除いて毎日はバレーやオペラが上演されている。ロシア人がいたころは劇場も流行っていたが、ウズベキスタン独立後、裕福で技能を持つロシア人やユダヤ人がウズベキスタンから出ていったため、劇場に足を運ぶ客が少なくなってしまったとのこと。

JICAから常に身に着けているようにと、携帯電話を渡されている。日本では持ったことがなく使い方がよくわからない。N夫人に「すみません。着信音を消すにはどうしたらいいでしょう。」とたずねると「私も知りません。でも気にしなくてもいいのよ。」と恐ろしいことをおっしゃる。開演直前にはそれでも8割くらいの入りになった。N夫人が「こんなに多く観客が入ったのは見たことがありません。きっと新聞にいい批評が載ったからでしょう。」と驚く。「そんなにいつもガラガラなのですか。」たずねると大使館主催の無料のコンサートや伝統芸能演奏のときは満杯になるらしい。やはり200円でもウズベキスタンの人にとっては高いということなのだろうか。

女性指揮者(いつもあの人なのよ、とN夫人)が拍手とともに登場し、前奏曲をかなで始める。まず驚いたことに静かな前奏曲が始まっているのに、私語をしている人がいる。日本だったら顰蹙モノだ。椿姫は2,3度見ているので筋は知っている。ビオレッタが太っちょのおばさんだったが、なかなか声量があり、乾杯の歌が始まるころにはあまり容姿が気にならなくなった。考えてみればパバロッティでもアルフレッドを演ることもあるのだ。

演奏中の私語に続く驚きは、見せ場になると会場からフラッシュが焚かれることだ。写真撮影は禁止されてないようだ。さらにびっくりしたことは私のではないが携帯の着信音がなることである。さすがに話し始める人はいないが、これも日本なら顰蹙モノだ。それでもあまり観客は気にしていないし、また見せ場では惜しみなく拍手を送り、ブラボーの声もかかる。おおらかにオペラを楽しんでいることがよくわかる。今回は特にイタリアから演出家を招聘したとのことだが、一番高い席が200円で、演出家や出演者のギャラはどうなっているのかと、他人事ながら心配になる。舞台装置はさすがにお金をかけていない感じはしたが、それが却ってシンプルで象徴的な舞台となって好ましく思った。

幕間に、100スム支払ってトイレに入ってみる。劇場建設に従事した抑留者は小用をここでは足さなかった、と思う。というのは男性用トイレの朝顔部分が自分のおへそあたりに来るからだ。ウズベク人でも小用を足すのに大のほうを使っていた。

演奏も終盤にかかり、「パリを離れて」の2重唱、「不思議だわ、苦しみも消えて・・」のアリアのあたりではちょっと胸が熱くなるのを感じた。

ブラボーの声に押されて入れ代わり立ち代り出演者が幕の前に出て拍手に応える。こちらも遠慮せずデジカメでフラッシュを焚きながら写真を何枚も撮った。多少感動しながらもこれで200円は安い、これからちょいちょい来ないとソンだ、という冷静な計算も忘れなかった。