家探し
JICAの研修の合間を見て、家探しが始まる。JICAから紹介された不動産屋さんに連れられてアパートを探して回るのだ。住居費の上限は、ウ国のシニア海外ボランティアの場合、700ドルとなっている。
タシケントでは月200ドルの収入があれば、なんとか中流の生活ができるという水準だ。だから700ドルという家賃を払えば、日本でいえばヒルズ族とまではいかないにしても相当な豪華マンションに住める。5ないし6部屋あってベッドルームとトイレが2つ、バスルームのほかにシャワールームが別にあるという物件もある。何平米ありますか、などという馬鹿な質問は恥ずかしくてできない。
それに契約したらすぐその日から住めるように、ソファセット、ベッドはもちろん、茶碗、皿、鍋釜、洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、クーラー、シーツからタオルまですべて揃っている。車で次々に案内してくれるのだが、半日に6,7件の物件を見せられるとどこがどこやらわからなくなる。アパート探しのポイントはまずロケーション、安全な場所かどうか、駅、勤務先、バザールに近いかどうかである。
つぎに設備の点検、台所、水周り、クーラーなどとなる。印象も大事だ。ソ連時代のよき遺産のひとつ都市計画の名残で地域集中暖房となっており、お湯がいつでも使える。徒然草の「家の造りようは夏をむねとすべし」ではないが、寝室はおおむね涼しい北側にある。日本のアパートと違うのは玄関(上がりかまち)がないこと。ドアを開け、その付近で靴を脱ぎ、そのまま居間に入っていく。ちょっと違和感がある。
ウズベキスタンで2005年5月に起こったアンディジャン事件は、政府発表ではテロリストの暴動となっている。しかし実際は、悪化する経済状況に不満を持ったバザール商人たちが自発的に立ち上がった反政府運動だったと言われている。西側の報道によると1000人以上の市民が犠牲になったという。(日本ではあまり報道されなかった)
米国の人権非難に背を向けて独裁的色彩を強めている現政権に不安を持つ外国企業が続々と国外に逃げ出している。さらに輪をかけてウ国政府は国連職員にビザの延長に応じないなどの強硬処置をとっているので、外人用の高級居住施設は空室、空き家が増えて、いわゆる買い手市場となっている。従って、前は1200ドルの家賃だったのですが、という物件が700-800ドルくらいに下がっている。
業者は一応、500ドルくらいのアパートも見せてくれるが、古かったり、プロフの臭いが立ち込めるレストランの3階など、もしプロフが嫌いになったらとても住めない場所だったりする。700ドルの住居費予算は、それ以下の家賃の部屋に入っても、差額を他用途に使えるわけではない。また予算一杯の700ドルをウ国に全部落とすことが、ODAの精神にも沿う、という理屈も成り立つ。したがって700ドルの物件を中心に見ることになる。
勤務先のカレッジの学長も知り合いの家を探してくれると言っていたし、JICAの現地職員も、知り合いの業者と一緒に休日に物件紹介に走り回ってくれた。これは親切心もさることながら、物件がめでたく成約に至ったときは、必ず何がしかの報酬があるということだ。ある不動産屋さんは550ドルの物件を紹介したあと、「それでは次にもう少し安いアパートをご紹介します。」といって車を走らせた。JICAの予算は700ドルなのですけれど、と言うと先ほどより狭くて古い物件であるのに、平気で「ここは700ドルです。」という。
クチコミ情報で今度来た日本人の予算はいくらと知っているウズベク人も多いと聞く。昨年度の予算で来ているSVは当時の予算、1200ドルのアパート、または一軒家に住んでいた。やはり1200ドルのアパートは、700ドルのそれよりさらに豪華と聞くが、前任者の住んでいた1200ドル物件が、値切ったら750ドルまで下がってきた。
JICAでは入居物件の候補が決まると、セキュリティオフィサーを同行させて、1、2階であれば必ず窓に鉄格子をはめさせるし、鍵の状況や住環境調査をさせる。ドアの鍵は3つ付いているのが普通だ。
実はこじんまりとした物件があり、値段も手頃だし、大家さんがよさそうな人なので、そこに決めかけていた。しかしセキュリティオフィサーから、隣が公安の幹部宿舎で、何かあった場合危険という理由で契約許可が下りなかった。
ウズベキスタンは安全な国と聞いているが、普通の家でも1,2階は必ず窓に鉄格子がはめてあるし、街なかの商店のペットボトルは持ちさられないよう紐で結んである。スーパーは警備員だらけだ。日本に留学した学生が「日本のスーパーや商店は、誰でも品物を盗めるようになっていました。」と目を丸くしていた。
ちなみにウ国の新聞には犯罪の記事はほとんど載っていないそうだ。犯罪率は低く、犯罪検挙率は80%となっているが信じている人は誰もいない。