チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

今年も、棉摘みツアー(4)

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今年もやります、棉摘みツアー その4

プランが不採用となったBI3、 BI9のクラスの落胆、驚きは一様ではなかった。まさに「何故だ!」の世界。それでも先週、イッセー尾形張りのジェスチャー入りで「失敗から学ぶ」という授業をしていたので、ツアー企画の選定理由を静かに聞いてくれた、昨年は贔屓だ、今からでも考え直して欲しい、などと口々に言って、だめだと分かると露骨に不貞腐れてさっぱり授業にならなかったものだ。そのことを思うと自分も少しは失敗から学んでいるようだ。

秀才クラスのプランには英文の棉の歴史やウズベクにとっての棉産業の重要性などの資料が付いていて、それなりに勉強になった。ただ、決定的な要素である価格が3割違っていては勝負にならない。また最低価格であったMA2の見積内容を確認してみたが概ねバス料金、食事代、お土産など必要項目をカバーしていた。

ただ一つ、選ばれなかったクラスにとって惜しかったことは、見積提出期限を守れなかったことだ。もし1クラスでも提出期限の月曜12時までに見積を持ってきて、それ以降に他のクラスが提出したとしたら、たとえ価格が高かったとしても、提出期限を守ったクラスの案に決めざるを得なかっただろう。遅れて提出するクラスのプランを受け取りとさえ拒否したかもしれない。それだけビジネスにおける期限というものは大切なものだ。全クラスが提出期限を守れなかったのでバイヤーとしての自分は条件を変えて、遅れて提出された見積もりをすべて受け入れることにした。

あるクラスの見積もりでは、始めに日本人を歓待するための楽団の費用、10万スムが計上されていたが、これはオーバースペックというものだ。プラン作成に当たって、学長や通訳のナフォサットにいろいろ事前調査をしたことは知っているが、自分に直接、日本人はこういうことを気に入るだろうか、値段に跳ね返った場合、どれだけ受け入れてもらえるだろうか、と聞いてきたクラスはなかった。一度あるクラスの生徒から「いくらの見積もりを出せば選ばれるのか」と聞かれたが、これに答えることはできないのは当然のことである。

選定はされなかったが企画、見積もりは決しておかしいものではなく、それなりによく準備されていたと思う。綿産業の歴史、綿のウズベク経済に占める重要性などの英文添付資料は個人的にいい勉強になった。見積もりにおける食材価格の積算など、現在の物価高をしっかり反映しており、足で稼いだデータに基づいていることがよくわかった。2,3ヶ月前まで1リットル1000スムだった植物油を3200スムとしているところなど自分の実感と近いところにあった。

生徒がバス会社に出かけて、交通費を直接に確かめたということも聞いている。どう日本人をもてなそうかというゲームプランも自分にとっては嬉しいものだった。見積もり作成のために費やした生徒の努力に対して深く感謝する。ただし、いくら企画が優れていても、作成過程がしっかりしていても見積価格が高いということがどうしてもネックとなった。選定に当たっては価格が大きな要素を占めるということを言ったし、結果としては価格の一番低かったMA 2になったというわけだ。自分とナフォサットは3クラスの見積もりを詳細に検討し、選定理由書に書いたようにフェアな観点でMA2をウィナーに選んだ。

当然、自分のクラスがツアーに参加できると思っていただろうが、結果は今言った通り。でもこれは言ってみれば、サッカーの練習試合で、ゴールを一つはずしたようなものだ。数秒は悔しがってもいい、少しは怒りの気持ちもあってもいい。しかし、これは練習試合で外してしまった1つのシュートに過ぎない。次回は美しいゴールシュートが決められるよう、どうすればいいか考えればいいのだ。

そして、今回最良の企画、見積もりを出したMA2を素直に称え、ツアーがうまくいくように応援してやって欲しい。試合が終わったあと、両チームの選手が健闘を称えあうように。

それでは1本シュートをはずしたが、気分を切り替えてみんなピッチに戻ろうじゃないか(レッツ・ゲット・バック・トゥ・ザ・ピッチ)、と言って本日の授業に入る。

あー、やれやれ・・・・