チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

授業開始狂躁曲(1)

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授業開始狂躁曲 その1

9月から授業が始まった。まず、8月27日に授業日程の発表。これを見に教師、生徒が集まる。ナフォサットに確認してもらったら今年は2クラスしか教えないことになっている。集中講義をするにしても週6時限だけだ。今年は他の先生の授業を聞いたり、積極的に代講を行ったり、ベンチャー論の教え方について意見を交換する予定ではあるが、2クラスではちと少なすぎる。3ないし4クラスは教えたい旨、教務主任に伝える。

どうやら今年からベンチャー論の授業時間数が政府の方針により少し減らされたらしい。自分と同じ起業論を教える先生は英語の先生など語学教師に比べると給与ベースが低く、授業回数の多寡で給料が決まってくる。自分の授業数増加を主張することは他の先生の収入ダウンに繋がる。と言ってもそこは年度を通して他の先生の代講を自分が務めるという形もあるわけで、いろいろ紆余曲折はあったものの昨年度と同じく3クラスの授業を受け持つことになった。

さて、待ちに待った授業開始は9月3日(月)である。アパートを出る前に、パソコンを開いてメディアプレーヤーから数ある音楽の中から行進曲集を取り出し、古関裕而作曲のオリンピックマーチを聞く。行進曲の中でも一番好きな曲だ。NHK北出清五郎アナウンサーの「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます。 ...」の名調子と東京オリンピックの開会式をを思い出す。オリンピック発祥の地、ギリシャを先頭に・・・・・、追憶に浸っている暇はない。ついでに戦時歌謡集から「空の神兵」を聴く。藍より蒼き大空に大空に 忽(たちま)ち開く百千の、という落下傘部隊の歌だ。ペギー葉山が歌っている。中でも好きなのは2番の、この青空も敵の空、この山河(やまかわ)も敵の陣、この山河も敵の陣 という部分。海外出張したときはこの部分をリフレインしてその日の商談の進め方を反芻したものだ。

さて、こうして士気を鼓舞して学校にいったものの、通訳のナフォサットと、今日は初日だから生徒は集まらないのではないか、と話し合う。昨年は生まれて初めて正規の教壇に立つという日に生徒が一人も現われず、脱力の内に休講という仕儀と相成っている。

生徒が来なくて自然休講となる、に1000スム賭けるが、というとナフォサットも今日は授業なしだと思いますという。これでは賭けが成立しない。

失望したくなければ期待するなという格言がある。最初の授業はやはり30人定員のところちらほら女子生徒が3,4人いるだけという状態だった。やっぱりな、と思い、10分くらい待って生徒が集まらないことを確認して休講にする。一人でも聞いてくれる生徒がいる限り私はやりますという教師もいると思うが、ムリをする必要もない。

次の日、火曜は7時限目、17時10分からの授業がある日だったが、教室に行ってみたらひとりも生徒がいなかった。後で知ったがその前の授業が休講になったので全員で相談して帰宅したとのこと。たいそうまとまりのいいクラスのようだ。

水曜日は、その日から授業と授業の休憩時間が10分から5分に短縮、昼休みが10分から20分に延長され、これらの変更に伴い、最終、7時限の終了時間が30分ほど早まっていた。時間変更の知らせがなく、教室に着く時間が10分ほど遅れ、それだけ授業時間が少なくなった。

木曜は5,6時限の授業。5時限の教室へ行ってみたら知らない生徒ばかり。教室が代わったのかと問い合わせたり、あちこちの教室を覗いたりして教えるべきクラスを探した。
その結果、この日の朝に5.6時限が4,5時限に繰り上がり、教室も変更になったことを知った。4時限のクラスの生徒は自分を探したらしいが、こちらも他の建物に研究室を引っ越したばかりだったので見つけられなかったようだ。授業を受けられなかった生徒のために学部長が6時限目をベンチャー論の授業に振り替えてくれた、しかし指定された教室に行って見たら、他のクラスの生徒もやってくる。教室がダブって登録されていたらしい。これでまた授業を休講にせざるを得なくなった。

というわけで、新学期最初の週は教室や先生の希望などをすり合わせる時期であって、始めからしっかり授業ができる態勢になっていないということが分かった。あくせくしなくてもそのうち納まるところに納まるのだろう。教師も生徒も誰も文句は言わない。日本でこんなことがあったら怒り心頭、となるところだが、あ、そう、という感じだったのはそれだけ自分がウズ化したということだろう。