先日アップした「授業開始狂躁曲1」で授業開始に先立って、自宅でオリンピックマーチを聴いたという話を書いた。その話に友人からメールが寄せられた。同意を得て一部引用させて頂く。
(引用開始)
毎回楽しく拝見しております。東京オリンピックの行進曲、懐かしさがこみ上げてまいります。日の丸のペナントを付けた自衛隊音楽隊のトランペットの演奏も含め、鮮明に覚えております。戦後の日本が復興し、ようやく先進国の仲間入りをするという、日本がまとまった、まさに昭和の頂点といえるイベントでした。(引用終わり)
そうだ。オジサンたちの思い出の曲は古関裕而作曲のオリンピックマーチなのだ。
1964年(昭和39年)10月10日、千駄ヶ谷の国立競技場で、第18回オリンピック東京大会の開会式が行われた。前日までの雨はきれいに上がり、空はまさしく日本晴れ。この時期、日本は戦後の復興を終わり、高度成長まっさかり。オリンピックの開催は、伸び盛りの国・ニッポンを世界に印象付ける絶好の機会でもあった。参加94カ国、選手総数5,558名で、それまでの記録を塗り替える空前の規模だった。
哀調を帯びた和風のファンファーレが鳴り響いたあと、午後2時に75,000人の観衆が見守る中、古関裕而作曲の東京オリンピックマーチが流れ、オリンピック発祥の地、ギリシャを先頭に、94カ国の選手役員7000余名の入場行進が始まった。実況は、NHKの名アナウンサー・北出清五郎。「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます。 ...」の名言はもちろん、色とりどりのユニフォームや民族衣装で行進する各国選手団の描写も実に感動的だった。
「先頭はギリシャ、旗手はジョージ・マルセロス君。エーゲ海の碧を彩った紺地に白の十字の旗が、日本の秋空のもと、赤いアンツーカーの上にくっきりと・・・」「小さな国に大きな拍手、ケニヤ選手団、たった一人ながら堂々の入場行進であります。健気(けなげ)であります。まことに健気であります」・・・・
「ゴール、ゴール、ゴール、ゴォォール」と26回も絶叫する今時のアナウンサーとは語彙の数から教養から違っていたのではないか。
最後に日本選手団357名が登場。ここで行進曲は再びオリンピックマーチに戻る。日の丸をイメージした深紅のブレザー、主将を務めたのは体操の小野喬、実に整然とした入場行進で場内の興奮は最高潮に達した。
オリンピックマーチは明るく躍動的で、構成といいメリハリの効いたメロディーといい、世界の数あるマーチと比べても遜色無い名曲だ。
作曲者、古関はこの曲についてこう語っている。
「開会式に選手が入場する一番最初に演奏され、しかもアジアで初めての東京大会であるということから、勇壮な中に日本的な味を出そうと苦心しました。そこで曲の始めの方は、はつらつとしたものにし、終わりの部分で日本がオリンピックをやるのだということを象徴するために、君が代の一節を取り入れた。私の長い作曲生活の中で、ライフ・ワークと言うべきもので、一生一代の作として精魂込めて作曲しました。」
オリンピックマーチは閉会式でも演奏され、東京オリンピックは、この曲に始まってこの曲で終わっている。その後このマーチは誰が作曲したのかとの問い合わせが世界各国から殺到し、古関の名前は一挙に知れ渡った。またオリンピック以後このマーチは、全国各地の運動会等でも流され、この曲を知らない人は恐らくいないであろう。
戦後復興の頂点を極めた日本経済を象徴する東京オリンピック、そしてその昂揚した気持ちを思い出させるオリンピックマーチ、聴くたびに躍動感と遠い追憶がよみがえる。こういう自分を「ノスタル爺」と人は呼ぶのだろうか。まわりは隊員始め若手SVでさえ東京オリンピックの記憶を持たない人ばかりだ。
(画像はファルファドバザールから)