チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

追憶のオリンピックマーチ

 

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 ポスター、デザインは亀倉雄策

 

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日本選手団入場

 

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旗手は体操の小野喬選手

 

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聖火最終ランナー、酒井義則君、この人も亡くなった

 

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体操の小野夫妻、清子夫人は参議院議員3期、内閣府特命担当

大臣等を歴任

 

 

追憶のオリンピックマーチ

 

本日23日は本来であれば東京五輪の開会日だった。入場行進ではオリンピックマーチが流れたことだろう。記念すべきこの日に2007年9月にウズベクで書いた「オリンピックマーチ追想」を加筆訂正して再録したい。

■日いずる国の行進曲
気分を昂揚させたい時に聴く音楽の中にオリンピックマーチがある。ウズベクでは授業に出かける日の朝によく聞いた。現在、はからずもウィルス騒ぎで東京滞在を余儀なくされている。今、オリンピックマーチを聴けば当時の活力に満ちた日本を懐かしく思い出し、こっちも元気が出てくる。

1964年の東京五輪は、戦後の日本が復興し、ようやく先進国の仲間入りをし、日本が一つになった、まさに昭和の頂点といえるイベントだった。全国民の胸の高鳴りを象徴する曲こそオリンピックマーチだった。

 

■56年前の入場行進
1964年(昭和39年)10月10日、千駄ヶ谷の国立競技場で、第18回オリンピック東京大会の開会式が行われた。前日までの雨はきれいに上がり、空はまさしく日本晴れ。この時期、日本は戦後の復興を終わり、高度成長まっさかり。オリンピックの開催は、伸び盛りの国・ニッポンを世界に印象付ける絶好の機会でもあった。参加94カ国、選手総数5,558名で、それまでの記録を塗り替える空前の規模だった。

哀調を帯びた和風のファンファーレが鳴り響いたあと、午後2時に75,000人の観衆が見守る中、古関裕而作曲の東京オリンピックマーチが流れ、オリンピック発祥の地、ギリシャを先頭に、94カ国の選手役員7000余名の入場行進が始まった。実況は、NHKの名アナウンサー・北出清五郎。「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます。 ...」の名言はもちろん、色とりどりのユニフォームや民族衣装で行進する各国選手団の描写も実に感動的だった。

「1964年10月10日午後2時、いよいよ選手団入場行進開始であります。先頭はオリンピックを生んだ栄光の国ギリシャ、紺地に白く十字が浮かび上がったギリシャ国旗が今、日本の、東京の、メインスタジアムのトラックのレンガ色に鮮やかにコントラストを見せております。参加94ヵ国、7060人の世界の若人の力と美のパレード」

「オリンピック初参加、ひときわ高く湧き上がる拍手、アフリカ大陸西岸、カメルーンであります。たった二人の行進、小さな国に大きな拍手、健気(けなげ)であります。全く健気であります」・・・・

 

■先人の夢が実現
最後に日本選手団357名が登場。ここで行進曲は再びオリンピックマーチに戻る。
「いよいよ最後、日本人選手団の入場であります。栄光への道を求めて苦しい試練を耐え抜き、今、堂々と胸を張って歩く日本の若者・・・・」日の丸をイメージした深紅のブレザー、主将を務めたのは体操の小野喬、実に整然とした入場行進で場内の興奮は最高潮に達した。

北出アナウンサーの最後の言葉は泣かせる。
「5年前、東京大会が正式に決まり、それから5年、日本人一人一人の総ての努力はついにこの日のために払われた感じがいたします。アジアで初めて開かれた世紀の祭典、平和と人間愛と技術と、第18回オリンピック東京大会、この日を迎えるその道はまことに長く、本当に険しくさえあったのであります」
長く険しい道には幻の五輪となった1940年の五輪東京大会が暗示されている。

 

■復興と平和の祈りを込めて
オリンピックマーチは明るく躍動的で、構成といいメリハリの効いたメロディーといい、世界の数あるマーチと比べても遜色無い名曲だ。

作曲者、古関はこの曲についてこう語っている。
「開会式に選手が入場する一番最初に演奏され、しかもアジアで初めての東京大会であるということから、勇壮な中に日本的な味を出そうと苦心しました。そこで曲の始めの方は、はつらつとしたものにし、終わりの部分で日本がオリンピックをやるのだということを象徴するために、君が代の一節を取り入れた。私の長い作曲生活の中で、ライフ・ワークと言うべきもので、一生一代の作として精魂込めて作曲しました。」

オリンピックマーチは閉会式でも演奏され、東京オリンピックは、この曲に始まってこの曲で終わっている。その後このマーチは誰が作曲したのかとの問い合わせが世界各国から殺到し、古関の名前は一挙に知れ渡った。またオリンピック以後このマーチは、全国各地の運動会等でも流され、この曲を知らない人はいないであろう。聴くときに我々の心が熱くなるのは作曲者を含む当時の日本人の愛国心、誇りがこの曲に込められているからだと思う。

 

オリンピックマーチの視聴はこちらから
https://www.youtube.com/watch?v=g0uRDANnEbU

https://www.youtube.com/watch?v=m7GlLDgzI6E