チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

マウンテンバイクの応援

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力走する日本女子

 

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ゴール直後、力尽きる

 

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男子エリートスタート

 

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1,2位は日本

 

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大きくジャンプ、かなりのスピード、迫力満点

 

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1,2位の表彰台



マウンテンバイクの応援

 

■自転車合宿のメッカ、トゥーン
1月の末のことである。チェンライから60キロほど離れた街、トゥーンに住むNさんがふらりと現われた。Nさんはラオス縦断、それにチュンポン、タカの渡り見学3000キロのツーリングを共にしたバイク仲間である。

Nさんの奥さんはトゥーンでGHを営んでいる。いつの頃からか、このGHに自転車競技の選手が冬の合宿に日本から集まるようになった。日本では交通法で、自転車が並走して公道を走ることができない。その点、チェンライ郊外の舗装道路は車の往来が少なく、数十キロの練習コースはいくらもあるし、山にはマウンテンバイクに適したダートコースもある。北タイの乾季はほぼ晴天続きで気候も温暖である。トゥーンに集まる選手の中にはオリンピックやツールドフランス出場者もいる。そういった一流選手と一緒に練習ができるというのでアジア各国の選手も集まるようになった。Nさんはもともと自転車競技の経験があり、競技団体の役員も務めている。コーチとしても有名らしい。

その彼がアジアマウンテンバイク選手権がチェンライ県のメコン河近くのチェンセーンで開かれるから、よろしかったら応援に来て下さい、と予定表を呉れた。1月29日から2月6日まで9日間の日程、男女、ユース、混合、リレーなど様々なジャンルがある。えー、どれを見に行けばいいですかね。4日の女子エリートファイナル、並びに男子エリートファイナル、これを見に来ればいいでしょう。

■マウンテンバイク
マウンテンバイク(MTB)とは、荒野、山岳地帯等での高速走行、急坂登降、段差越えなどを含む広範囲の乗用に対応して、軽量化並びに耐衝撃性、走行性能および乗車姿勢の自由度等の向上を図った構造の自転車である。自転車競技というとロードレースやトラックレースのように軽快な自転車でスピードを競うものを連想するが、MTBは太い、ゴムイボ付きの頑丈な自転車である。

自転車競技の歴史は1868年のパリ郊外サンクルーで行われた1200mレースに始まり、1892年にはロードレースが行われ、1896年の第一回アテネオリンピックの正式種目となっている。自転車競技自体は由緒ある競技であるが、MTBが登場したのは1970年代、そしてMTB競技がオリンピックの正式種目となったのは1996年のアトランタ大会からというからまだそれほど競技の歴史はない。MTBの歴史は構成部品開発の歴史といってもよく、アルミ合金、クロモリ鋼、チタン、カーボン等が使用された最高級品になると1台100万円を超える。欧米、アジアで自転車競技がハイソサエティのスポーツと言われているのもこんなところにその理由があるのかもしれない

チェンライで開催されたアジアマウンテンバイク選手権は今年で26回目という。あまり知られていないがタイでは自転車競技が盛ん、王室で自転車を推奨しているせいかもしれない。またタイには日本では考えられないほどの大金持がいて、その子弟が滅多にみられない最高級自転車を携えて競技大会に現われる。

■スリルと迫力のレース
チェンセンのゴム林と山を切り開いて作られたコースは1周4.8キロ、関係者によると、コースは「赤土の粒子の細かいダスティーな路面に、きつい登りとスイッチバックスのコーナーやジャンプにバームの人工物などバリエーションが豊富で、クライミングも長い登りやきつい登りなどバランスの取れた」ものという。

このコースを5周する女子エリートファイナルにはオリンピック選手を含む4名の日本女子が参戦したが、5位が最高の成績に終わった。1,2位は中国勢のワンツーフィニッシュ、3位はイラン。かなり過酷なレースで、ゴール直後に気を失い、救急車で運ばれる選手もいた。

女子レースの後に開催された男子エリートでは、序盤から日本勢がレースを掌握。全日本王者である山本幸平と平野星矢が他国選手を振り落として1周目からワンツー体制を敷き、後半にかけて表彰台確保を磐石のものとしていく。終盤に入ると山本が独走体制に入り、そのままアジア選手権10勝目を手にした。平野選手は2位と日本勢でワンツーフィニッシュ。異国で聞く君が代と日の丸は格別のものがある。

山本選手はNさんのGHで見かけたことがあるが、オリンピックに3度も出場しているとは知らなかった。スピード、安定性、ジャンプ、あらゆる面で他の選手を圧倒しており、走りに風格を漂わせていた。ぶっちぎり優勝の山本選手であるが、スイス、フランスの横綱大関クラスの選手に比べると前頭上位がいいところという。でも幕尻優勝の例もあることだから東京五輪では是非、日の丸を上げてほしいものだ。