チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ブハラ、ヒバ 6

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任国内旅行(ブハラ、ヒバ)その6

ヒバの一夜
太陽の国<ホラズム>と呼ばれるウズベキスタン北西部。この一帯は年間300日は雲ひとつ出ない過酷な土地だ。トルコ系の遊牧民であったウズベク人は、16世紀、この地にヒヴァ・ハーン国を建設し、ヒバはその王都だった。ウズベクを代表するアム河の河口部分に当たり、灌漑設備が張り巡らされ、今でもウ国の米どころとして名高い。カラクム砂漠への出入り口として、ヒバは繁栄を謳歌した。シルクロードの東西を結ぶ宿場としてだけでなく、ロシアとインドをつなぐ南北交易の基地でもあった。

ヒバの旧市街であるイチャン・カラ、そのパルヴァーン門を出たところにデホーン・バザールが広がっている。パルヴァーン門は60mほどのアーケードだ。横壁がくりぬかれて檻になっている。この檻にはその昔、スラブ人、北欧人、ロシア人などの白人奴隷が入れられ、ウズベク人に買われるのを待っていた。前嶋信次著「千夜一夜物語と中東文化』(東洋文庫平凡社)にヒバに白人奴隷市場があったことが記されている。

英語で奴隷を意味するスレイブはスロバキアやスラブと語源が同じだという。白人奴隷はマムルークと呼ばれ、能力に従って政治権力を持ち、エジプトのマムルーク朝のように奴隷から王様に出世することもあった。イスラムを2級民族のように考えている西欧人は多いが、つい500年前までは白人が2級民族として差別されていた。イスラムは約800年、白人をいいようにしたが、そのあと500年は白人にいいようにされている。それが今のジハード、テロリズムの原点になっていると言うと言いすぎだろうか。

旧市街、イチャン・カラはブハラより更にこじんまりとしているので半日も歩いていると、同じ場所を何度も通ることになる。太陽の傾きでモスクやミナレットがさまざまな表情を見せてくれる。赤い夕日が、ヒバの色調となっている土色の街並みを照らす時、今が21世紀であることをほとんど忘れてしまうほどの感動に包まれる。

イチャン・カラにはチャイハナ(食堂)が1軒ある。独占企業みたいなものであるから、値段が高い(特に旅行者に対して)。タシケントの協力隊員が家族とこのチャイハナで食事をしたときぼられた、という話を聞いていたので、ここは外から見るだけで通り過ぎ、アタ門を出てミール通りに面したレストランに入ってみた。

中はテーブルがしつらえてあり、一定間隔で果物盛り合わせの皿が並んでいる。貸し切りパーティの趣だ。そういえばレストラン入り口横では大鍋でプロフを作り始めていたが、まだ米を入れる前の段階だった。これはだめかな、と思っていたらレジにいた小学校高学年くらいの子供が、かまわない、ついて来いという動作をする。少年に連れられていった場所はドアに隔てられた個室だった。20畳くらいだろうか、座卓がいくつかあって3,4人の先客がいる。ウオッカのビンがあり、すでに出来上がっているようだ。その横で40歳くらいのおばさんが紫の舞踊ドレスの繕い物をしている。

ラグマン(ウズベクうどん)とビールなどを注文していたら、先客がこっち、こっちと手真似で呼ぶ。陽気に湯呑みにウオッカをついで飲め、飲めという。こちらの習慣だからと一気飲み。言葉はまったく通じないが、今日の結婚披露宴で演奏する民族舞踊団の一行ということがわかった。残り物を盛んに勧めてくれる。日本人というだけで見ず知らずの人が歓待してくれるのも先輩たちが築いてくれたよい評判のおかげと感謝しながら、ウオッカをまた1杯。これから演奏を行うのにこんなに飲んでいいのか、と思うくらい相手も飲む。陽気な2人はドウェラ(写真)という大型タンバリンとバラバンというドラムの奏者、物静かな40代の人は歌手、繕い物のおばさんはダンサーということがわかった。他に司会者、電子ピアノの若い男性。部屋の隅で卓上電気スタンドの熱でドウェラを乾燥させている。それを見ていたらドウェラを持たせてくれた。演奏を聞かせてもらえるかと聞くと、もちろんさ、の返事。全てジェスチャー

会場はほぼ一杯になっている。200人以上はいるだろう。会場の一角に楽団の舞台とテーブルがしつらえられ。演奏者用の料理も並べられている。そのテーブルの端に座ってホラズムの民族音楽を聴くことになった。ドウェラはタン、タンと乾いた軽やかな音を、バラバンはトントンと低い音を出すが、叩き方、叩く場所によって音の高低がでる。二人は目配せをしながらテンポと音色を決めていく。2つの打楽器の掛け合いに誘われるように歌手がコブシの聞いたホラズム民謡を歌う。

新郎新婦の入場の時も音楽はやまない。そのうちホレズム衣装のおばさんが音楽と歌に合わせて軽やかに踊りだす。歌手、演奏者、踊り手が一体となってとても楽しそうだ。まああれだけ酒が入っていれば気分もいいだろう。余り迷惑をかけてもいけないと思い、1時間ほど経って、演奏が途切れたのを機会に皆にお礼を言って7時過ぎに会場を出た。ちょうどレストランの外で大鍋のプロフがいい具合に蒸されていた。披露宴は深夜まで続くのだろう。ウオッカと演奏に気持よく酔ったヒバの一夜であった。