チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

結婚式に出席

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結婚式に出席

法科大学で日本語を教えているマシフラ嬢から「今度結婚するので、法科大学の日本人先生と一緒に来てくださいね」というお話があった。彼女は23歳、筑波大学へ留学したこともある才媛である。明るくて気配りができ、そのうえすこぶるつきの美人だ。ウズベクの結婚式には過去2度ほど出たことがあるが、正式のご招待は初めてである。

友人への招待状には18時開宴となっているので、待ち合わせて会場となっているカフェ(こちらのレストラン)に行ってみたが人影はまばら。中央正面、一段高い場所にウェディングカップルの座るひな壇が用意されている。ホールには10人は座れる丸テーブルが20以上、またその周りには長方形のテーブルが用意されていて、すでにハム、ソーセージ、サラダ、果物などが飾られている。招待状は200人に出したとのことだが300人はゆうに座れる。大学関係者ということでひな壇に一番近いテーブルに案内された。家族、親戚、友人など近しい人がひな壇近くにすわり、あまり親しくないグループが新婚さん席から遠いテーブルに座る。6時半くらいにだんだんテーブルが埋まってきて、法科大学の学生や同僚も同じテーブルに着く。

驚いたのはテーブルによっては主賓がまだ来ていないのに、お皿のラップをはがして食べ始めているグループがあることだ。今日は宴会だから昼飯抜きで来たんだ、まあめでたい席だから先に始めていよう、という雰囲気である。定刻をかなり回って18時45分ごろ3メートり近いカルナイというラッパのファンファーレに合わせて、ご両人と介添え役が到着する。花嫁は西欧風純白のウェディングドレス、花婿はウズベク風の金刺繍のガウンと民族帽を被っていたがガウンを取ると普通の背広姿だった。介添え役は仲人ではなく新婚さんのそれぞれの親しい友人が務める。新郎新婦が退屈しないよう、ずっとひな壇で寄り添って世話を焼く。彼らがひな壇を下りている時は、他の友人がカップルに寄り添って決して二人ぼっちにはしない。

進行は6名編成の楽団と一緒のプロ司会者がやる。楽団がすごい音量で民族音楽をのべつ幕なしに奏でる。ボリュームを最大限に上げることがウズベク人の何よりのサービスである。
しばしのご歓談は絶対にムリ。大音量でおなかがしびれる。テーブルのペットボトルを取るとスピーカの音に共鳴してボトルがビリビリ振動しているのが分かる。自分の隣にいる日本語教師ディルドラ嬢に2つ席が離れたSVのIさんが、あのラッパは何と言うのですか、、とありったけの声を張り上げて聞くのだがほとんど聞き取れない。それで隣の人の耳に同じことを叫んで、伝言ゲームで彼女からカルナイと言います、という答えを聞いて逆の方向で返していく。ウズベクの結婚披露宴に出た日本人は、翌日それとすぐ分かる。皆、声がしゃがれているからだ。恐らく聴覚能力も一時的に低下しているだろう。

カップルが中央で結婚証書にサインして結婚指輪を取り交わす。その間も音楽は鳴り止まない。時折、司会に促されて親せき、友人が祝辞を述べる。そのときは皆ザワザワとして飲食及び近くの人との会話を楽しむ。そのうち自分も含めて日本人4名がホール中央に引き出され、一言ずつ祝辞を求められた。「ジャミールさん、マシフラさん、ご結婚おめでとう。お二人の幸せ、ご両家の繁栄、そして日本とウズベクの友情が、アムダリア、シムダリアに水が流れる限り続くことを祈っております」通訳つきではあるし、誰も聞いていなかったのは幸いであった。

ホール中央にはスペースが設けられている。もちろんダンスをするためだ。ウズベク人は誰でも生まれつきのダンサーだ。どこで習うというのではなく、小さい時から自然とお祝いの席などで覚えていくという。新婚カップルはナマンガン、つまりコーカンド地方の出身である。ダンスにはホラズム、ブハラ、コーカンドなど地方色があり、我々から見ると皆同じような踊りに見えるが、ウズベク人が見ると、ア、あの人はどこそこの出身だ、と分かるそうだ。コーカンド地方の踊りは動きが優雅、ホラズムはいくらか激しい動きとのこと。ホラズム地方の人は特に踊りが上手、ということになっているらしい。

開宴から3時間以上立ったところで、両家のご両親4名が中央に進み出て、一人ずつスピーチを行う。ムスコが子供のころから描いていた夢が今日実現しました。私には娘が3人いますがマシフラを4人目の娘として迎え入れます。何時までも幸せに、子供を沢山作ってください、等々。ウズベクの人は踊りだけでなくスピーチも大好きだ。新郎の母親は教師で大学入学前のマシフラさんの家庭教師をやっていたそうだ。多分そのころからムスコの嫁に、と狙っていたのだろう。挨拶が終わるとご両家固めのダンスが始まる。両親4名のダンスに新郎、新婦が加わる。

我々日本人もダンスに駆り出され、会場を後にしたのは到着してから4時間半経った22時半だった。