アルパミシュ
アルパミシュをご存知だろうか。ウズベク人は誰もが知っていて日本人がほとんど知らないというものの一つだろう。
アルパミシュとはウズベキスタンの英雄叙事詩だ。国民文化として広くウズベク国民に膾炙している。ウズベク人なら誰でもこの口頭伝承のさわりを朗誦できるだろう。小さい時から学校でも教えられている。
中央アジアでは古来、集団の結束を強める「集団意識」や「部族意識」が形成されてきた。集団意識を形成する要素には、血縁意識、風俗、習慣、言語などがあるが、口頭伝承はこれらの要素を抱合下「集団意識」の象徴的存在であった。人々は口頭伝承に社会集団の経験や知識を注入し、それらを長い時間かけて代々語り伝えてきた。英雄叙事詩は口頭伝承の中でも集団の象徴として帰属意識を高め、集団の安定と団結を強めてきた。
このような中央アジアの英雄叙事詩にはウズベクのアルパミシュを始め、カザフのアルパムス、クルグスのマナスなどが知られている。アルパミシュは6-8世紀、突厥の時代にアルタイに広がっていた叙事詩が11世紀の中央アジアに広がっていったものと考えられている。
今でもスルハンダリア、ホラズム、カラカルパク地方にはアルパミシュの語り手が存在する。彼らは特別の家系で、代々、稗田阿礼のように口頭伝承を語り続けてきたのだ。それらの地方では琵琶法師の語る平家物語を聞くように、人々はアルパミシュの朗誦を楽しむらしい。通訳のナフォサット嬢はおじいさんのひざの上で彼の語るアルパミシュを聞いて育ったという。
さて、アルパミシュとはどのような物語なのだろうか。語り始めると1週間はかかるという膨大なものらしいが、以下にあらすじを述べる。
主人公の勇士アルパミシュの父とアルパミシュの婚約者バルチンの父が諍いをおこしたため、バルチンの家族が故郷コングラトをあとにして、タイシャ=ハンの支配するカルマクの国に移っていく。タイシャ=ハンはバルチンに求婚する。アルパミシュはバルチンを追ってカルマクに向かう。そして、多くの試練のすえバルチンを救ったアルパミシュは、彼女とともにカルマクの国からコングラトの国へ帰還し、祝宴をあげた。その後、カルマクの国にいるバルチンの家族の惨状を知ったアルパミシュは、彼らを救うべく、再びカルマクの国へ向かうが、奸計にあって投獄される。苦労のすえ脱獄したアルパミシュはカルマクの勇士たちと戦い、カルマクのハンを殺して、バルチン一家とともにコングラトに戻り、祝宴をあげたのであった。
勇士が敵地に行き、敵を倒し、故国に戻るというパターンは他の英雄叙事詩にも見られる。敵はいつもロシアとカルマクというモンゴル系民族だ。ロシア、中国と対峙してきたウズベクの歴史が分かる。
これらの英雄叙事詩はソ連時代、「封建主義と反動の毒が注入され、ムスリムの狂信をささやき、外国人を憎ませる」、あるいは「汎イスラム的かつ封建的性格を持ち、誇り高き友好民族中国人に対する人種的及び宗教的憎しみを呼び起こす」と強く非難され、読むことも書くことも禁じられたばかりでなく、叙事詩の語り手や研究者が粛清の憂き目にあった。
ソ連崩壊と共に中央アジアの国は次々と独立し、英雄叙事詩は民族統合の象徴として評価されるようになった。アルパミシュは、今では「マハーバーラタ」、「ラーマーヤナ」、「オデュッセイア」、「シャーナメ」などの偉大なる叙事詩と双璧をなすと称えられている。
カリモフ大統領は「敵の勇士達を大地に倒した伝説のアルパミシュやファルハドについての伝説的叙事詩は単なる伝説ではなく、民衆の精神や人々の勇敢さの模範なのである」と、アルパミシュを国民の精神的な模範とみなしている。ウズベク政府は1999年に「英雄叙事詩アルパミシュ千年記念国際シンポジウム」を企画した。千年というのは適当に考えたらしい。
日本は大したものだと思うのは、ちゃんと日本にはアルパミシュの研究を専門にやっている先生がいることである。彼はこの国際シンポジウムに招待された。招待されたといってもウズベク政府が飛行機代を持ってくれる筈はなく、何とか渡航費を工面してタシケントにたどり着いた。そこで、シンポジウム主催機関であるウズベキスタン科学アカデミー言語・文化研究所に詳細を問い合わせたところ「あっ、悪い、シンポジウムは予算が足りないので無期延期になったのよ」というまさにウズベク的な答えが返ってきて、すっかり脱力してしまったというエピソードがある。