チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

日本の接点、建国神話

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中央アジアと日本の接点、建国神話

ウズベキスタンは自然の神秘に満ちている。たとえばフェルガナ盆地は,低降水量とシルダリア(アムダリアと並んでウズベクを代表する川)が「西方浄土」ともいうべき豊かな地をかたち作っている。この盆地は隕石落下によって形成されたのではないかと言われており、周辺の山岳地帯は金属と石油を産する。

ウズベキスタン中央部、国土の4分の1を占めるナボイ地域も鉱物資源に恵まれており、巨大な金鉱山、ウラン鉱脈を有している。ペルシャの王やマケドニアアレクサンダー大王はナボイの黄金を求めて、この地域への侵攻を熱望したという。今でこそ熱砂のキジルクム砂漠の中にあり、灼熱の乾燥地帯と特徴付けられているが、大昔は海だった。ナボイには多くの海洋性の貝や亀、珊瑚の化石が発見され、ここで産出する石灰石を利用してセメント工場も稼動している。

次第に隆起したキジルクム砂漠は100万年前には草原に覆われ、緑の大地や丘陵、茂みにはさまざまな樹木が生い茂っていた。巨大な湖や淡水湖が存在し、川が流れ、またいくつもの支流が枝分かれしていた。野生の馬や牛、らくだ、鹿など狩猟に適した獲物が多く生息し、石器時代の人々が豊かな自然の恵みの中で狩猟や漁業生活を営んでいた。彼らは簡素な柱に植物の茎や枝、動物の皮で作った屋根を渡した家に住んでいた。これは考古学者の報告によると洞窟を住居としていたほかの石器時代の住居様式とは明らかに異なっている。
彼らは2万5千年前からシリコンの鉱石、トルコ石の採掘を始め、それを加工して道具を作ったり装飾品にしたりしていた。ナボイ周辺のタムディやウチクダックといった地域では石器時代、宝石加工職人が装飾品を作っていた作業場が発掘されている。石器時代からこの地にはキャラバンが行きかい、東西を往来する交易品が、更にこの地を豊かにした。ペルシャ人、中国人、ユダヤ人、アラビア人またその混血人も多く生活し、異国の異なる文化が融合し、新たな文化を形作っていった。

ナボイ地方には紀元前2000年から紀元前1000年ごろに作られた鉄と青銅の炉のあとが発見されている。この頃のナボイにはスキタイと呼ばれる遊牧騎馬民族が定住していた。
スキタイは南ロシアに進出し、紀元前8-6世紀にその頂点を極める。彼らは青銅の武器と機動性の高い騎馬軍団を擁し、アッシリアと提携してメディアと戦い、ニネベを解放(紀元前630年)、また紀元前514年にはペルシアのダリウス大王の侵入を撃退している。歴史の父と呼ばれるギリシアの歴史家、ヘロトドスは、スキタイ人はインドヨーロッパ系の言語を話すとしているが、紀元前2世紀ごろ急激に衰え、その実態は今ではほとんどわかっていない。

あまり知られていないが、ヘロトドスが生き生きと描いたスキタイの神話は遠く日本の建国神話に影響を与えている。

スキタイの神話によるとゼウスの孫であり、空と大地の息子、タルギタイには3人の子供があった。ある日空から金の鋤、斧、鉢が落ちてきた。この3種の神器と引き換えに長男、次男は天に召され、3男コラクサイによってスキタイは統治されることになった。
日本の古事記には天孫ニニギノミコトの孫であるウガヤフキアエズノミコトから王権の印として天から三点の宝器(八尺瓊の勾玉・草薙の剣・八咫の鏡の三種の神器)が降下し、それを受け取った神武天皇がこの国を治めることになったと記されている。スキタイと日本の建国神話は酷似しており、中国や朝鮮のそれとはと明らかに違っている。

スキタイ人の勢力はヨーロッパの黒海沿岸にも及び、ギリシャ人達の交易はまた、この黒海沿岸部にも及んだから、ここでの出会いからスキタイ人ギリシャ神話の伝承が有り、それらが東アジアの遊牧民族に運ばれたのである。飛鳥時代キトラ古墳に見られる天文図や壁画の四神等も、この遊牧民族達の伝承に係わっているといわれる。ただ遊牧民族漢民族との係わりで、やがては道教とか儒教とか仏教等が習合して、農耕神、地鎮神、鎮守神、御霊神として信仰される様になったと思う。日本の妙見信仰等は仏教ともむすび付いたに違い無く、原型は遊牧民族に有るのだろう。かくしてギリシャ神話はユーラシア大陸の東方から朝鮮半島を経由して、日本神話として採用され、記紀の神話として姿を見せる。

このように日本と中央アジアにはダイナミックな関係が存在しているのだ。
(画像は旧市街)