チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

捨てる国、貰ってくれる国

チェンライの土曜市

同上、双子か

マンゴスチン、まだ高い

シュウマイ売り場

お寿司は何時も人気

屋台で買ってきてここで食べる


捨てる国、貰ってくれる国

■無駄にはならない

兄が3月末に帰国し、独り暮らしとなった。兄の生活の拠点は日本になる。ということはタイで使用していたものは概ね不要になる。

タイでは古T シャツであれ、履き古しの靴であれ、サンダルであれ、必ず貰ってくれる人がいる。兄はどういうわけか、モノを買う人で、帰国にあたって兄の箪笥を整理してみると新品のTシャツや下着などが出てきた。テニスで腰痛になったことがあり、腰痛を軽減するための腰バンドも4,5本出てきた。日焼け止めの腕カバーも7,8セットあった。何本腕があるというのか。肘、膝のサポータも何点もあった。運動靴も10足以上あったが、女中のニイさんが喜んで持って行った。

兄に比べて自分はお洒落とは程遠い生活を送ってきた。清潔でさえあれば着るものに頓着することはない。チェンライでTシャツや短パンなど衣服を購入したことがない。日本にいた時、東京龍舟というドラゴンボートチームに属していた。大きなボートレースが開催されると参加者にスポンサー提供のTシャツが配られる。化学繊維だから着心地はいまいちであるが、いくら洗ってもコットンシャツのようにヨレヨレにならない。背中には「20XX年ドラゴンボート大会」とプリントされている。2004年、2005年と書かれた紺色のTシャツはウズベキスタンでも着ていた。こんな古いTシャツを着用しているボート仲間はいないだろう。また、日本に帰国するたびにボート仲間がその年の、または前年の大会で支給されたドラゴンTシャツをプレゼントしてくれた。というわけで自分の着るTシャツは各年の大会記念Tシャツで間に合っている。

女中のブアさんが1枚20Bだったから、といってTシャツを買って呉れることもあった。木綿なので肌触りはいい。でも見るからにミジメっぽいのか、兄が時折、ブランド物や新品を下げ渡してくれた。自分で購入したことがないのに一生かかっても着ることができない、というほどではないが、いつの間にかTシャツ長者になっていた。

 

■古下着まで

兄の帰国に伴って、彼の所有物の自分に対する所有権移転が起こった。兄のクローゼットの中には、衿付きで生地のしっかりしたTシャツ、長袖シャツが詰まっている。長ズボンにジャケットもある。わかりました、それでは形見分けと思って頂きましょう。

まず、貰う前に自分の戸棚の中でここ1年、袖を通さなかったTシャツ、長袖、パーカーをブアさんに上げた。Gパン、短パン、パンツ、靴下も処分した。タイのパンツはLLサイズでも仕立てが悪いのか座るとビリッと破れる。だから下着はすべて日本製だ。タイに来るとき、友人が銀座ナカヤの絹製パンツを餞別で呉れた。このパンツは腰にぴったりしているのにどんな動きをしても破れることはない。

ゴムが延びてきたパンツを油落とし用にとブアさんに渡した。でも我がパンツはブアさんの村の人が喜んではいているという。オオゼキで買った3枚組のパンツだが、タイ人にも違いが判るようだ。村に行くと見覚えのあるTシャツ、短パンを、時には下着を着用した人を見ることができるだろう。

 

■本当に必要な数は

感染症のため1年8カ月日本に帰国していた。その頃、品川の家の建て替えの予定があり、兄に言われて、家の中の不要物を整理した。本やCDを毎日スーパーから貰ってきた段ボールに詰めて引き取り業者に渡した。一度に17箱しか持って行ってくれない。確か50箱以上詰めたと思う。何も情緒を交えず、機械的に作業したつもりだが、肉体的よりも精神的に疲れた。コートやジャケット、礼服、シャツ、ネクタイも通常のゴミ捨てに出せる量ではない。

結局、個人的にはとても無理で、お金を払って解体業者に整理を依頼した。自分と兄が大分、片づけたつもりであったが、トラック3台分の家財、その他ゴミが出たそうである。

タイでは日本と違って大概のものはもらってくれる。兄の運動靴は10足以上あったが、ニイさんが全部引き取ってくれた。一足、履いてみて、あっ、足に合う、とニイさんは喜んでいたが本当だろうか。

比較的新しいもの、ブランド品は自分に、それなりの品々はニイさんに渡った。また自分の古着の大部分はブアさんに進呈した。短パンは数本に、Gパンは3本だけ残した。Tシャツや長袖はまだ整理が終わっていないが、これまでの人生の中でも豊富過ぎるほどの衣装持ちとなっていて気分が落ち着かない。理想とする「世を捨てたる人の、よろづにするすみなる」境地にはまだまだ程遠い。