チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

台湾の温泉

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日本統治時代の関子嶺温泉

 

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1905年創業の温泉ホテル

 

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このあたりにスパランドがあるらしい

 

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ホテルの内湯 かなり大きい

 

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湯量は多い

 

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公共浴場の記念碑

 

 

台湾の温泉

 

■関子嶺温泉
台湾は温泉大国である。その数は100を優に超える。湯けむり台湾紀行とかバイクで廻った台湾温泉50といった書籍やネット記事もある。台北から日帰りで楽しめる温泉には北投温泉、泰安温泉 、烏来温泉があって、温泉は台湾庶民に親しまれる文化となっている。日本からの観光客にとってグルメ、夜市、故宮博物院見学と並んで台湾の「温泉」はこれから注目されていくだろう。


台湾には、十数回出張したが、仕事だったから台湾の温泉に浸かったことはない。それに40年以上前は北投温泉というと、農協ツアーのオジサンが大挙して押し寄せるいくらか不健康なイメージがあった。今は家族連れで楽しめるリゾートとなっているが。
台湾の温泉が開発されたのは1895年に台湾が清国から日本に割譲されてからのことで、各地の温泉には大正、昭和の趣を残した和風旅館が数多く存在する。
台南の関子嶺温泉は、北投、陽明山、四重渓と並んで、台湾の四大名湯の一つに数えられる。関子嶺は文字通り、山であってここに日本軍の要塞が造られた。その時に兵隊さんが温泉を発見、温泉地として開発されたのは1900年前後らしい。

昨年10月に金門島に行くついでに台南に立ち寄ったが温泉には行けなかった。2月に兄と故宮南院を訪問したので、それを機会に台南の関子嶺で温泉に浸かることにした。
故宮南院でタクシーを呼んでもらって関子嶺温泉のホテル名を告げる。近いと思っていたが、車は高速道路をひたすら走り続け、更につづら折りの山道を登り始めた。日本ではありえない勾配と角度だ。約1時間、外は薄暮が迫っていた。

鄙びた温泉町
値段と朝食付きにつられてネット予約した中級ホテル、国道に面しており、裏に1905年創業の関子嶺温泉大旅社があったので泉質はいいのだろう。ここの温泉は別府や秋田の泥湯温泉と同じく湯に土が混じった泥湯である。泉質は、アルカリ性炭酸泉、硫黄成分を多く含み、灰色。湯温は75度と高め。オープンのスパランドがあると聞いていたので外に出てみる。温泉街ではあるが閑散としている。武漢肺炎の影響だ。ホテルや旅館の前には従業員が立っていてお泊りですか、などと聞いてくる。半纏を着て旗を持っていれば昭和30年代の熱海か伊東と変わらない。鄙びた、素朴な印象の温泉街だ。ネット情報通り英語も日本語も全く通じない。

大浴場はあきらめてホテルに戻り、室内の内湯にお湯を張る。浴槽は日本の銭湯と変わらないほどの大きさがある。バルブを捻ると粘土色の湯が勢いよく流れだした。これならば満水になるにも時間がかからない。泥水と聞くとバッチイように思われるかもしれないが、この湯はさらさらしていて泥特有の芳香があった。兄はこの香りが気に入って泥湯に浸かった後も泥成分をシャワーで流すことはしなかったという。浴槽に浸かっている間に底に泥が沈殿してくる。実はこの泥を掬って顔に泥パックする、が関子嶺温泉のお約束事だそうだ。顔の角質が取れて、肌がつるつるになるという。でも兄弟揃って頭はともかく、今更お肌がつるつるになってもねえという年代である。

■一泊だけ
ホテルにはレストランはないし、朝食はどうなるのだろう、と思っていたが、朝7時過ぎにドアがノックされ、僅かに開いた隙間から袋入りのマックハンバーガーが差し入れられた。感染防止のため接触を極力抑える、というより、ホテル代を極力抑えた結果だと思われる。

嘉義駅行きのバスが出るまで時間があったので、温泉街を歩いてみた。前日探してもわからなかった日帰り露天大浴場はホテルの向かい側、10mほど坂を下ったところにあった。もし入っていたら貸し切り状態だったと思う。戦前、関子嶺温泉は台湾で最高級の温泉とされ、台湾総督を始め高級官吏の接待の場として使われたという。皇族である伏見宮様も滞在された由緒ある温泉であるが、決して日本人租界であったわけではない。
「台湾人に入浴の風習を身に着け個人衛生観念を養成する」という台湾総督府の方針にもとづき、1913年11月に台湾人も入れる公衆浴場が造られている。ホテルから数m離れた駐車場のわきに台南市政府が建立した「公共浴場遺址」と刻まれた大きな石碑があった。

台湾人の温泉好きには歴史的に日本人が深く関わっていた、とわかるエピソードだ。
前日、夕方に故宮南院から関子嶺に到着し、夕食を挟んで2回、朝1回と3度、温泉を楽しんだが、この日の午前中に嘉義経由、台南に出立した。折角の名湯、あと2泊ほど逗留すればよかった、と後悔している。